2010年5月17日月曜日

ちょっと寄り道・・・

「初戦」の文章、実は優に10日以上前に入力していました。

しかし、家庭裁判所の書類や何やかんやを出してきて入力をするところで挫折。
毎夜毎夜、「パパ、今夜こそやるよ」と言いつつ、ある夜はパパが、次の夜は私が、寝かせつけの後帰らぬ人となって朝を迎え続けたので、今日は、途中のままアップすることにしました(つまり、今夜もパパが帰ってきませんでした)。

 家裁の内容は、追って入力していきます。多分、ここまでで、日にちとか、細かい辺りが不正確な気がします。自分の年齢はもちろん、子供の生年月日やクラス、担任の先生の名前も覚えられない私なので、そこは気づいたら訂正しますので大目に見てください(笑)

 ここ最近で一番感心したのは、三男義弥が小学校から持ち帰ってきた「家庭調査書」。学校から、「去年提出したものに変更があれば、赤で訂正して提出してください」といわれました。「どれどれ、うちは、ほかの子供の学年を訂正しないと」と、赤ペンを持ってみてみると、不思議なことに、すでに長女は高校2年生、長男は、今年入学した高校の一年生、三男はすでに年長さんになっていたのです。
「???今年新しく書いたんだっけ???」と思い、記入日を確認すると、ちゃんと去年の4月。「ま、去年一年間さしつかえなかったし、いっか♪」と、そのまま再提出しました。

 他にも、長男の中学校の地区懇談会で、「担任の先生はどなたですか?」と聞かれ「佐藤先生です」「?うちの学校に佐藤先生はいらっしゃいませんが?」「えっ?そうでしたっけ? あれ? 一年J組の、数学の先生ですが・・・」「じゃあ、こちらで調べておきます。」ということもありました。

 また、長女のクラス懇談会に行って、「すみません。二年生で、松野先生のクラスですが、何組ですか?」と聞いたこともあります。
 長男と長女の家庭調査書は、子供の生年月日と学年が一致しなくて、子供が書き直したこともあります。

 そんな自慢にもならない話ですが、毎年変わっていくものを覚えていられないのは、私だけってことはないですよね?

 こんなことばかり書いていると、「この人信用できないかも」って思われそうで心配ですが、機械的に変化するものは覚えられませんが、感じたこと、考えたこと、話し合ったことは覚えてますから、大丈夫ですよ。ほんとうに、大丈夫ですよ!!

 で、感じたこと。

 一体、「常用平易の基準って何?」ってことです。
 わたしたちは、この「明らかに常用平易」って言葉に泣かされてきました。だって、「明らかに常用平易」の判断基準が明らかじゃないんですもの。そうでしょ?

 今回の最高裁判所の判断の根拠でさえも「明らかではなかった」んですもの。

 「明らかに常用平易」の根拠は、ここまで私たちが調べてきた判決文はどれも曖昧で、普遍性がなくて、個々の判断に任されてきたんですから。

 よく使われる「曽」判決は、「曽」を常用平易だとする理由は示しても、そこから「明らかに常用平易」の基準を見つけることはできませんでした。
 「悠」の判決もよくわかりませんでした。しいて言えば、画数は基準になるのかしら?
 もっとも強烈だったのは、琉球の「琉」判決。市長までが「認めてあげたい」なんていっている。そりゃあ、市長さんいい人なんだろうけど、自分が公職者として発言する言葉じゃないよねって心の中で突っ込んでいました。個人の感情と、職務上の立場は混ぜちゃいけないでしょうに。なんか、判決文は、「OKの結論ありき」って気がしました。でも、歴史があればいいってことでしょうか?
 
 でも、そんな中でもっとも分かり易かったのは、今回参考にした「穹」「祷」判決でした。判断基準を文字ごとに定めるのではなく、最初に普遍性のある枠組みを提示した上で、文字の検討をしていました。もっとも公正な印象の判決文でした。
 個人的には、「誰が見ても同じ基準でその文字の検討ができる」様に書かれている判決文は、この二つしかありませんでした。
 もっとも、その基準自体の善し悪しの判断は、人によって分かれるところかと思いますが、少なくとも、名古屋高等裁判所の裁判官の判決や、最高裁判所第二小法廷の裁判官の判決みたいな、「その判断基準と理由は、裁判官の頭の中」っていうアンフェアなものじゃないだけ、数十倍も数百倍も公正でいいものだと私は思います。

 そうそう、最近読んだ新聞で、とある裁判官の手紙を見つけました。
「裁判は争いごとを裁くもので、関係者全員に満足のいく結果を出すことはほとんど不可能と言ってもいいでしょう。不満を表されるのも、裁判の宿命だと思っています。(5月17日付中日新聞朝刊31ページ)」

 私の持っていた裁判のイメージとはずいぶん違っていて、なんか、ね。
もっとも、この手紙を書いた裁判官が述べているのは、放火犯の裁判の後、裁判員に向けて書いた手紙なので、それについて述べているのかもしれないけど。私たちのケースとは違うのかもしれないけど。
 うまく言えませんが、なんか、こんな裁判官嫌だなあ、って思ってしまいました。こんなものなのかなあ?

 
 ずいぶんと話はそれましたが、不服申し立ての間ずっと思っていたのは、「一体、名前に使える漢字の基準って、本当にこれ(戸籍法と施行規則)が適切なのかなあ?」ってことです。

 何度もしつこいですが、そもそも戸籍法が定めた「常用平易」の目的は、①本人と周囲が困らないことです。そして、手書きだった時代、略字や下手したら誤字もあった(らしい)ことから、②戸籍事務に支障が出たのでそれを防ぐ目的です。

 この前見直しを発表していた常用漢字の判断基準は「書けなくても、読めてPC変換できればいい」でした。確かに、PCはカナを正しく入力しさえすれば誤字脱字は防げますし。

 まさか、この前常用漢字に入ることになった「鬱」が平易で、スラスラ書けると思っている人はいないですよね? 私は仕事柄、書けますけど(ちょっと自慢?)、けっして平易だとは思いませんよ。

 

 それと、「常用平易の範囲は、常用漢字と別表2」という決まり。これも、どうなんでしょう?

 この前行われた文化審議会国語分科会漢字賞委員会で、阿辻委員(この方、人名用漢字の見直しの委員会のメンバーも兼ねています)は、「常用漢字だから、そのまま子供の名前にふさわしいというふうには100%ストレートには行かない」と述べています。
 
 私もそう思います。「病」とか「苦」「悪」「呪」「嫌」とか。名前についたら、「えっ!?」と驚く文字って、結構沢山ありますよね。

 それに、文化審議会国語分科会漢字賞委員会の金武委員(この方も、人名用漢字の見直しの委員会のメンバーも兼ねています)は「玻」について「これは常用漢字ではなくて、人名用漢字に追加する方向の検討が必要とだと考えます」と述べています。

 私も、そう思います。
 でも、早まらないでくださいね。ここで言いたいのは「だから、『玻』は、人名にふさわしい」ってことじゃなくて、常用漢字と人名漢字は、別に検討する必要があるってことです。

 また、金武委員は、こうも述べています。「私は、親が自分の子供につける名前を、できるだけこの字を使いたいと言う場合には尊重すべきだと思うのですが、常用漢字に入れる理由と名前につけたい理由とは多少違うところがあると思います。そしてこれは、人名漢字に追加する要望というのが妥当であると言うことで、現在の人名用漢字を見ても、確かにこれよりも難しい字が沢山入っており、そういうバランスを考えると、これを追加してもいいのではないかという気がしますので・・・」と述べています。

 私もそう思います。「玻」は、他の人名用漢字とのバランスを考えると当然追加されていいと思います。
 でも、早まらないでくださいね。ここで論じたいのは「玻」のことではなく、人名用漢字に追加されてもいい筈の字はまだまだ沢山あると思うってことです。

 じゃあ、どれを追加して、どれを削除したらいいのでしょうか?

 そんなこと、私にはわかりません。「玻」は、当然追加されるべきだと思いますけど。

 皆さんなら分かりますか?
 分からないでしょう?
 だって、どの字がどんな価値を持つかなんて、人それぞれで、すべての人の思いを理解するなんて私にはとてもできません。

 病院のカルテに時々登場する「不定愁訴」って言葉、ご存知ですか? どこも悪くないんだけど不調を訴えることを言います。この「愁」を名前につけている知り合いがいます。

 「え~? 愁うって言う字、いい意味ないじゃん」と心の中で思いましたが、理由がすばらしかった。
 宗教入ってて申し訳ないですが、旧約聖書イザヤ書の中に「彼は愁いの人で」と、イエスキリストについて表現してういるところがあるのですが、彼らはその言葉にちなんで「イエス様のように人の悲しみを理解する人に」と願って「愁」をつけたそうです。
 なんか「愁」が、すっごくいい字に見えませんか? 私はちょっと感動しました。

 とにかく、親の思いの善し悪しまで、わたし達第三者が規制するのはおこがましいって思います。

 じゃあ、規制しないで野放しにするのか?
 
 それも、どうでしょうね? 親の思いは沢山ありますが、やっぱり決まりごとは必要なように思います。
子供は親の宝ですが、社会の宝でもありますから。

アンケートの回答にこんな意見がありました
・最近の子供に変わった名前をつける親はDQNと呼ばれていることはご存知ですか?
ヤンキー上がりの親や、バブル世代の親が多いようです。
DQNネームから、親がモンスターだということが分かるようです。
本当にお子さんのことを考えられているとは思えません。親のエゴです。


 いやあ、うちの子には当てはまらないと思いましたが(笑)、この方のおっしゃることも一理あります。
人のことをいえた義理ではありませんが、びっくりする名前って、ここ最近多いですしね。
まあ、その辺りはまた後で。

 とにかく、無条件でOKはないかな、と思っています。

 じゃあ、どの変に線引きをすべきなのか?

 この辺が私の悩みどころでした。 この、戸籍法の趣旨に、今となってはそぐわなくなってしまった施行規則、これは明らかに変。現在施行規則が人名用としている漢字と、人名にしてほしいと言われる字との常用平易さのバランスは、強烈に悪い。調べれば調べるほど、整合性もないし、合理性はかけらもない。どんな基準で決めてんだか、さっぱり分からない。

 でも、戸籍法の趣旨は、もっともだと思います。問題は、場当たり的に増改築を繰り返した結果迷路みたいになっている施行規則の歪さ。これがすべての問題の根源かもって思いました。

 じゃあ、どうしたらいいんでしょう?
 そして、問題は、人名用漢字の枠組みだけでしょうか?
その運用は問題ないんでしょうか?

 私達がしたアンケートに寄せられた意見の中に、こんなのがありました。

・私の身近に、名前で非常に苦労している人がいます。傍から見ていて可哀相に思うくらいです。
子どもには、誰にでも読める名前をプレゼントするのがベストだと、個人的には考えます。
・違う漢字で当て字でハンナでもいいじゃんっておもう…
・仕事をしていて、最近の子供はなぜこんなに難しい漢字を付けられているのか不思議になります。
・すらすらと読めません。後々さまざまな不都合が出てくるでしょう。
困るのは子供です。結局改名することになるのではないでしょうか。
・名前には、当て字で全く読めない名前もある。それにくらべれば、全く問題ないと思う。
・多分みな読めませんよ。子供への最初のプレゼント!ですが、後々いろんな意味で将来 子供さんが喜びますか?皆から親しみやすいほうが素敵だと思いますが
・今の頭の悪そうな読み方をする名前に見える。
・間違って読みようのない平易な漢字を認めないことは許せないことです。
・今の世の中、もっと読みにくい、読めない当て字の名前が氾濫する中、「玻」は読みにくい訳でも難しい訳でもなく、名前に使用しても何も問題ないと思います。
・最近はとても読めない漢字が名前にあててあり小児科の看護師としては驚きです。空快とかいてスカイと名前がありましたよ。
・読みやすい漢字なのでいいと思います。子どもの名前は悔いが残らないように付けたいと思いました。


 これらの意見に共通するキーワードは「読み方」です。
 少し前に、SAPIOだったかなあ?表紙にすごい見出しが書いてありました。「日本人は年々歳々馬鹿になっていく」だったような。中身は、何かのジョークかと思うほど笑えるものばかりでしたが、これが本当だったら、ちょっと日本の将来が心配かも・・・と心配になるようなないようでした。

 その中に、子供の命名についての記事が載っていて「暴走万葉仮名」ってタイトル(だったかなあ?)の記事がありました。そのすごいタイトルに魅かれて恐る恐る読んでみました。だって、うちのことが「暴走万葉仮名」って言われていたらショックですもの。

 まあ、それはさておき、「読み方」です。「空快とかいてスカイ」。これは実在なんでしょうね、きっと。

 他にも「小宇宙」とかいて「コスモ」。「宇宙」と書いて「ソラ」。「地球」と書いて「ガイア」「テラ」みたいな。もしかしたら「真剣」とかいて「マジ」とか?
気持ちは分かりますよ。「宇宙」と書いて「そら」。思わずその前に「めぐりあい」ってつけたくなるのは私だけですか?なんか、歌が聞こえてきますよ「そして時が健やかに♪」って。
 「地球」とかいて「テラ」そのあとに「へ・・・」とつけたくなりますもん。おもしろかったですよね。すごく。

 でも考えました。戸籍法の趣旨に反するのかどうか?
 あくまで私個人の感想を述べるなら、アウトでしょう。
 私の中での「玻南」との線引きは、「その読みが辞書に載っているか否か」です。
「玻南」は教養があれば読めますが、明らかに教養ではない範疇の読みは駄目かもって思います。そもそも、「コスモ」って入力して「小宇宙」って変換できないし。「そら」「てら」って入力して「宇宙」は出ないし。
「玻南」は、一文字ずつならちゃんと変換できますよ。ちなみに、しつこいですが、どちらも戸籍統一文字ですし。お役所のコンピューターに入っていますよ。法務省のホームページで検索してください。出てきますよ~♪

 ここが私の線引きです。じゃあ、「夜露死苦」はOKか?って聞かれると、う~ん、それは「暴走万葉仮名」の部類だと思うけど。そこは、コメントしません。だって、もしかすると「夜露が苦しんで死ぬ人の慰めになる」なんていう思いかもしれないし。まあ、これはちょっと苦しいこじつけですが、つまり、言いたいのは、親の思い入れについては、他人と法律が言及する権限はないと言うことです。ちょっと左利きになった気分で言うなら、「内心の自由を侵すな」ってところでしょうか?
 それが許されるのは、親兄弟や親戚、友人など、その人の人生に深くかかわって、ともに歩んでいく覚悟のある人たちだけって私は思います。…となると、その資格のない親兄弟親戚や友人もあるってことで、このデリケートな部分に関しては一言で線引きするのは難しく、立ち入ることに慎重さが求められるんだと思っています。

 アンケートでは、カウント集計したわけではありませんが、「明らかに漢字本来の読みと異なる当て字でいいじゃん」と「漢字本来の読みと異なる当て字は駄目でしょ」の意見が、ほぼ3:7くらいでした。

 漫画世代の私にとって、漢字にまったく違うルビを振るのは慣れ親しんだ方法ですが、それはあくまで漢字の熟語の意味を知っていいるからこそ味わい深いと思っています。そして、それはあくまでサブカル世界に特化した手法であると思っていて、公的な文書に載せる、公的な名前はアウトだと思っています。すみません。

 戸籍法の趣旨に照らしても、それは駄目かなって。
 教養では読めないものである限り(確かに、東大で岡田俊夫が「オタク学入門」の講座を開いたことを思えば、サブカルも教養と言えるかもしれませんが、知らなくても恥ずかしくない内容であることから考えると、教養の範疇と言うよりも、趣味の範疇に入れるべきかと思います。私は「知っていたい」とても興味深い内容でしたが。)、「常用」でも「平易」でも、明らかに違うと思います。 すみません。

 が、しかし。これが、市役所の窓口で通っていることに、不思議を感じます。いや、いいのかな?
漢字は「常用平易な文字」と定まってはいるけど、読みには規制がないから?

 この前NHKを見ていて、「『日本』の正式な『ニホン』でも『ニッポン』でも、どちらでもよくて、読みは決まっていない。それは、日本人が読みよりも漢字を大切にする民族だから」というコメントを聞き、すっごく驚きました。そう考えれば、明らかに別物の読みもいいのか?? と迷うものの、それはちょっと違う気がします。

 反対に、「沖田総司の漢字が、総司でも宗二(だったかな?)でも間違いではない。なぜなら、当時は読みを重視して、漢字は適当にあてがったから」という記載を読んだこともあるので、この二つから考えると、日本人の漢字と読みに対する鷹揚さを感じます。

 でも そもそも、明らかに当て字ですらない読みと漢字の組み合わせを戸籍法は想定していなかったんでしょうね。これから先、法務省はこれをどうするんでしょう? 放置するのかな? いや、それはまずいんじゃないかなあ? 何がって具体的にはいえませんが、なんとなく、本能的に日本が危なくなりそうな気がして。
ごめんなさい。でも、なんか漠然と不安を感じます。

 でも、現行の戸籍法じゃ、当て字ですらない組み合わせは問題ないってことなんでしょうね?
 でも、なんか、漠然と、不安を感じます。


 話し戻って、じゃあ、漢字はどこに線を引くの?ってなると、どうするんでしょう?

 アンケートにはこんな意見が寄せられています。

・命名は、字画重視で姓名判断・親のこだわりで と人によってそれぞれですが、みんな子供に対する愛情を持って考えています。突飛な字を使っているわけでもないのに、人名漢字でない ということだけで受理されないのはとても残念です。”使えないことが分かっているのにわざわざ使わなくても・・・”という意見の人がいるのも事実だと思いますが、この字はこの子にぴったり!と一度思うと、使えないから・・・と言われても、名前を変えずにイメージに合う新しい字を見つけるのはとても難しいです。我が家の三男はそれに当てはまってしまいますが、人名漢字であるか・・・を問題にするならば、いわゆる当て字 読めない名前 も問題にされてもいいのではないでしょうか?人名漢字を使っているからどんな読み方でも受理 というのも問題はあるのでは?読めない名前をつけた張本人が言うのはおかしいかもしれないのですが。
玻南ちゃん キラキラと輝く明るい女の子になりそうなイメージが私にはあります。
お姉ちゃんの瑠都さんの名前もそうですが、ご夫妻のこだわりとあふれる思いがたくさんつまった、とてもいい名前ではないでしょうか。どんな判断が下されるのか分かりませんが、みなさんの声が少しでも後押しになって、早く玻南ちゃんの出生届けが受理されることを心から願っています。
・私は 漢字の使用に賛成です。よめなくもないから。
常用漢字ではなくても、名前に使用する場合は認めてもいいのではないかと思います。
・ ご両親には何かピンとくるものがあったのでしょうが,もともと「ハ」という読みを探しての当て字のようですし,この字に固執する理由がわかりません。2つの宗教から引っ張ってきたというこじつけも理解し難いです。「常用平易な字とは認められない」はその通りだと思います。この世に存在する漢字を全て使ってもいいということなら,常用漢字を設定して,あふれかえる漢字からだれでも使える漢字を義務教育で習うように整理してくれた先人たちの気持ちも踏みにじっていると思います。
ある程度のルールにのっとって生活することは社会人として必要でしょう。
・「親が子供に与える最初のプレゼント」と言うコメントに感動しました。漢字としてある以上認めてもいいと僕は思います
・名前は親の勝手な思い込みでつけるものではなく その子が死ぬまで呼ばれ続けられ愛される名前がいいと思います。一年名無しは親の傲慢です!私はパートで電話のオペレーターやってますが 読めない名前が多すぎます。多分ずーっと苦労されているのでしょう。誰もが読める字をつけて下さい
・玻南…良い名前だと思います そして良い字だと思います 何がいけないのですか?親が最愛の子につける名前なのに、常用平易な漢字などと他人がとやかく言う事ではないと思う。
・新聞読みました。はなちゃんとてもステキな名前だと思います。同じ子を持つ母親として応援します(*^o^*)1日も早くはなちゃんの名前がつく事を願います。親として初めてのプレゼントで一生涯の物ですから絶対に付けてあげたいですよね。頑張って下さい。アンケート①名前に使って良いと思います②常用平易な漢字と思います。
・お子さんに納得の行く名前を贈りたいというお気持ち、二児の母親として深く感銘を受けました。
しかしひとつ思うところがありましたので、お節介とは思いながら記させてください。
瑠璃も玻璃も照らせば光るという諺を、ご夫婦は優れたものは何処でも際立つという意味合いで捉えておられ、また一般にそれで通用しているようですが、この諺には別の解釈があります。わたくしの持っている「故事ことわざ辞典」(中日新聞社が昔配布したもの、編者は平井充良氏)には、「瑠璃も玻璃も光を当てれば同じようにかがやきを放つ。物は使い道一つで同じように役に立つものだということ。瑠璃は七宝のひとつであり、玻璃は水晶やガラスの類で瑠璃よりも質は劣る」とあります。
また「瑠璃も玻璃も照らせばわかる」という言葉も載っており、こちらは「似ているものでも見分けはつく」とあります。この場合も瑠璃と玻璃とは紛らわしいが、決定的に質が違うということが前提でしょう。穿った見方と思われるかもしれませんが、そのような解釈をする人間は実際に存在します。ご姉妹を瑠璃と玻璃になぞらえることについては無理にこだわらなくてもよろしいかと思うのですがいかがでしょう。
・旧約聖書に出てくる「ハンナ」という女性の
偉かったことというのは、子どもを私物化しなかったという点
といわれていますがはなちゃんのご両親は、子どもを私物化していませんか?
社会の既存ルールを無視し、自分たちの我儘を無理に通そうとして
その結果、はなちゃんを不幸な立場にしているのはご両親ではありませんか?
行政を恨むのは筋違いだと思います。
「この漢字が使えない!?じゃあ使えるようにしろ!」
「この漢字は使えない?じゃあこちらの漢字にしよう」
世間一般の人は、後者だと思いますよ。
・1.「名前に使っていい文字と思うか?」
回答:結論から言いますと、全く問題はありません。素晴らしい名じゃないですか。旧約聖書に出て来る登場人物・ハンナを参照にして命名したとの事ですが、ご両親のネーミング・センスは抜群に良いですね。11月4日付の中日新聞(朝刊版)で読んで初めて知ったのですが、僕はむしろ、「果たして最高裁までいくような案件なのか?」とさえ思ってしまいました。
2.「常用平易な漢字と思うか?」
回答:平成21年10月27日付にて名古屋高等裁判所が「常用平易な漢字とは認められず、戸籍上使えないのはやむを得ない」としましたが、じゃあ逆に「常用平易な漢字って何ですか?」と聞きたいですね。世の中には難しい読み方もしくは書き方をする苗字・名前の方もたくさんいらっしゃいますよね?人名に難解な文字を使ってはいけないのでしょうか?明らかに人格権の侵害です。最高裁判事の方々には由緒正しく、かつ公正な判決を出してくださいますよう、切にお願い申しあげます
・特に複雑な漢字でも無く、書きやすい字であると思いますので、
問題無いと思います。「玻南ちゃん」 キレイな名前だと思います。最高裁、応援しています。
・名前に使っていい漢字かどうか、これについては不可。嫌なイメージしか浮かばない。
つくりが皮だからか破を想像する。正直子供が可哀想。
常用平易な漢字かどうか、こんな字を普段見ることがない。今の頭の悪そうな読み方をする名前に見える。
常用平易と言ってる時点で字のごとく常日頃使うことがあるかという意味に見えるのが、こんな字見ません。
断固として反対。一人のためにそこまでする必要ない。

 今度は、「玻南」をどう感じるか、という観点でピックアップしてみました。おおむね、好意的な方が多かったように思いますが、中にはよくない印象を持たれる方もいらっしゃいました。
 つまり、漢字の字義も、名前の印象も、人それぞれの考えがあって、一致することはないことだけは確かです。捕らえ方は、各々の経験と教養と環境と、その他諸々によって形作られていくものなので、一致しないのは当然ですね。
 この感じ方の多様性が、日本のいいところだし、思想的に偏った人たちで構成されているわけではないということだし、だから集団としてバランスが取れるんだと思うし。

 とするなら、やっぱり、名前の字義や印象について、よっぽどのことがない限り第三者が立ち入る問題ではないのだと思います。かつて字義のためにずいぶん大きな騒ぎになったお名前もありました(実際、当事者になっている当時のお子さんがいて、その子のお名前も公開されている現状を考えると、うちの娘の裁判のときよく引き合いに出されていたのを見て、その方の選択の善し悪しはともかく、名づけようとしたご両親も名づけられたご本人もずいぶん傷付かれたことだろうと、とても胸が痛みました。確かに当時子供だった私でも覚えているぐらいの大事件でしたが、今どこかで生活している当事者の方々のお気持ちを考えると、本当にお辛いことだろうと思います。こんなとき、報道の責務と倫理って、どこでバランスを取るべきなのかなあって考えます。答えは分かりませんが。)が、時には国がNOを出す必要がある場合もあるかもしれません。でも、基本的には、両親のお気持ちを最大限尊重すべきだと思っています。

 従って、法律が関与・制限すべき範囲は、やはり現行の戸籍法の趣旨の範囲でいいのではないでしょうか?

 しかし、この趣旨を体現するに当たって準備された施行規則と別表2。これは、実に非合理的でしょうね。そして、現実の流れに全く追いついていない。早急に見直して欲しいです。

「どんな風に?」

 漢字の制限に関しては、現時点で戸籍に使用されている文字(氏・名問わず)は、「可」としていいのではないでしょうか? そもそも、この法律のできた頃は手書きの時代で誤字略字がしばしば見られたそうですから、当時としてはこの法律は合理的だったんでしょうね。

 その後何回か改定されていますが、だいぶ新しいところにきて、私が高校・大学生の頃。パソコンはほとんどなくワープロがとても最先端で輝いて見え持っていない人の方が多く、少ししてパソコンが出てくると「一太郎」辺りがとってもかっこよく見え…という感じで(私だけでしょうか?)、とにかく、まだまだ高価で今ほど普及していませんでした。携帯電話なんて見たことも聞いたこともなく。ポケベルさえも持っている子はまれでした。 つまり、文字の変換技術が今とは段違いに未熟な時代でした。そんな頃には、やっぱり今よりも制限が厳しいのも、理にかなっていたかもしれません。この時代は、戸籍や住民票の交付は手書きと、時々ワープロ?が混ざっていて、手書きから電算システムへの過渡期だったんでしょうね。

 そして今。詳しくは、京都大学の安岡先生のブログを見てくださいね。この方、とってもお詳しくて、人名漢字についても、私たちが知る中でもっとも合理的で納得のできる考えの方です。
 安岡先生がブログで述べているように、そして、大阪高等裁判所が「穹」や「祷」判決で述べたように、「戸籍統一文字」に載っているなら、そして氏には使えているなら、名に使用するのを制限する合理的な理由はどこにもないと思います。そう思いませんか? 氏と名に使える漢字の範囲の違いがあること自体不思議でしょう?、氏に使えるものが名だと駄目で著しい不便・支障になるんでしょうかね?
 役所のPCに搭載されている「戸籍統一文字」の使用を制限しなければならない理由が分からない。いまどきのPCのメモリーの容量を考えると、「玻」なんか高々JIS第2水準レベルでしょ? 教養の範囲だと思いますけどね(ちょっと怒れてきました) 別表2の中には第3・4水準の文字も含まれているのに。おかしいと思いませんか???

 話しはずれましたが、戸籍法施行規則が制限すべきは、最大限で「戸籍統一文字以外は不可」までが合理的でしょうね。よっぽど「著しい不便・支障」にこだわるなら、「戸籍統一文字でかつJIS第2水準のみ」ぐらいが戸籍法の限界でしょう。

 何で見直さないのかなあ? そして、何でこの変な法律が放置されているの? 

 それが「無知が自由を奪う」ってことなんでしょうね。もう少し加筆すると「無知と無関心が、♪かわした覚えのない約束が今日も僕らの自由を奪う♪」ってところでしょうか?

 これ、私は実に法務省に訴えたい。
「戸籍法施行規則の所、変だよ。見直して。氏と名に使用可能文字の制限の差を設けるのは、戸籍法の趣旨を著しく逸脱するもので、戸籍統一文字であれば氏・名ともに使用に差し支えないんだから、早急に見直してよね」
と訴えたい。そう思いませんか? ねえ、そう思いませんか???

 皆さん、どう思いますか?ぜひご意見ください。よろしくお願いします。    矢藤妻

2010年5月10日月曜日

初戦 vs名古屋家庭裁判所の巻 ①

 このゴールデンウイークは、本当に家族そろってウイーク(弱い)でした。
 まず、誰が初発患者かわからないのですが、ゴールでウイークが始まる前から、私がひどい咳と痰に悩まされ、次に長女が声が出なくなり、やがて長男へ。
 それでも、日常生活に支障が出ることはなく、そのままゴールデンウイークに入りました。
 主人が駒が岳に行こうと言い出し、私も自分の仕事がひと段落ついたので賛成し、部活に忙しい上二人を放っておいてした参院を連れて出かけました。
 野生のカモシカやサルを見ながらロープーウエーのふもとに着き。頂上に上ると、予定していたハイキングコースは雪の下に。
 初めての雪に大はしゃぎな玻南をカメラに収めて、みんなでソフトクリームを食べましたが、お約束通り、三男はコーンを残して全て床に食べさせてあげました(怒)。三男のやさしさに感動した母は、半分分けてあげましたよ。もちろんゲンコツ飴もトッピングしてあります(笑)。
 その後はふもとのハイキングコースを回り、「さあ、名物でも食べて帰ろうかア~」と話していると、突然「さっきコケたから頭がくらくらする~」と泣き出す三男。発熱です。

 仕方がないので、名物もあきらめてソッコー帰宅しました。そして2日後。入れ替わりで玻南が発熱。結局ゴールデンウイークは、絶えず誰かが寝込んでいるお休みになりました。
 まあ、その分家でゆったりできてよかったんだけど。
 

 そして本題。
 記憶が正しければ、玻南の出生届を持ち帰った翌日は土日で、市役所はお休み。で、よく月曜日の朝、たぶん8日だったような・・・?(すると、前回ブログに書いた、12月7日の出生届は、日付が違うかも?? まあ、出生届の提出期日最終日であることは間違いありません)

 とにかく、改めて主人が出生届を出しに行きました。もちろん「不受理」は覚悟の上です。
この日は、簡単でした。
 
 主人が出世届けを出す。市役所の人がこれでは受理できないという。それで、不受理のはんこを押されて、その書類を持ち帰る。

 そんれだけです。

 そうそう、まだよくわかっていなかった私たちは、。市役所の人に、どこにどんな手続きをしに行ったらいいのかをもう一度聞きました。

 市役所に人は、親切にもう一度、家庭裁判所に、市町村長の出生届不受理処分に対する不服申し立てをする、と教えてくれました。

 アンケートの自由な意見の中には「市役所の人は法律を守っているだけで悪くない。あなたたちがわがままだ。」という意見がいくつも見られました。私たちもそう思います。
 市役所の人たちは、法律どおり職務を遂行しているだけに過ぎないと思います。それを超えて許可を出したりしたら、それこそ問題です。
 私たちは、誰かを非難していたわけでも、市長に不服があるわけでもありません。だって、彼らは法律どおり職務を遂行しているだけなんだから。
 それなのに、この申し立ての名前は「市町村長の処分に対する不服申し立て」。
 これ、すっごく変だよ~。市町村長に不服を言うこと自体、筋違いジャン。法律守って「不服申し立て」されるなんて、もし自分が市長だったら「そんならどうしろっていうんだよ??」といいたくなりません?
 それとも、市町村長に漢字を追加する裁量権があるのかな? 法律には「家庭裁判所がその裁量権を行使することができる」ってあったような。
 この名称、きわめて不条理な気がします。そもそも、私たちが申し立てたいのは、「この戸籍法の趣旨どおり、常用平易な漢字の『玻』を人名漢字に加えてよ、家庭裁判所さん」ってことで、どこに市町村長が出てくるのさ?むしろ、その申し立ての相手は法務大臣か法務局じゃないの? と思います。

 本題に戻って

 そして、主人は庭裁判所に行って事情を説明しました。裁判所の人は書類をくれましたが、これが主人もはじめてみるものなので、その場ですらすらと書くことができず、いったん持ち帰りました。
 また、書類といっしょに、添付書類や費用の書類ももらいました。

 そこには、戸籍謄本がいるとかいてありました。私たちの戸籍は県外にあります。
 しかし、期日はとても迫っていて、悠長に郵便で取り寄せている暇はありません。主人は仕事ですし、私は三男の幼稚園の送迎の都合もある。
 仕方がないので、鉄道会社に電車のダイヤを聞いて、市役所に戸籍を取れる場所を聞いて、予定を立てました。名古屋駅から片道およそ1時間です。
 生まれたての玻南を抱っこ紐で抱っこして11時半の電車に乗って、目的地に着きます。戸籍を出せる市役所の出張所は駅隣接のビルにありました。
走ってビルを移動し、出張所で戸籍謄本を出してもらいました。時計は帰りの電車が出るまであと5分であると告げています。
 またも走りました。久しぶりに遠出したんだからお土産の一つも買って帰りたいところでしたが、この電車を逃すと三男の幼稚園のお迎えに断然間に合わない。この電車でも、1時25分名古屋駅着だから、1時半のお迎えにはぎりぎり遅刻。買いたい名物を尻目に切符を買い、電車に飛乗りました。電車に間に合いほっとすると、重力が強くなったような気がしました。とにかく、疲れた。が、もう一仕事。何人かの幼稚園ママにメールして、「少しお迎えに遅れるので、先生から三男を受け取って園庭開放で遊ばせてほしい」とお願いをする。そのうち、何人かのママにokをもらったので、これで一安心。

 この後始まる一連の申し立てで、もっとも私たち家族を支えて助けてくれた人たちの何人かは、この幼稚園ママたちでした。お迎えに遅れるときに受け取ってくれたり、家まで送ってきてくれたり、預かってくれたり情報をくれたり。

 三男が年中になるときに家庭の事情で幼稚園を転園しましたが、今思い出しても、ここの園ママとの交流は大切な大切なものでした。彼女たちの暖かい助けがなかったら、このとんでもない騒動も最後まで乗り切ることはできなかったと思います。

 話し戻って、この電車、名古屋駅が終点。ちょっと、うとうとしよう。

 が、疲れているのになかなか眠れず、とうとう名古屋駅まで一睡もできなかった。ハア~。

 必要な提出書類は準備できたものの、一番困ったのは不服申し立ての理由書。

 理由?総合的に考えたら、別表の2になんら遜色なく常用平易だし、ワープロや携帯でも簡単に検出できるし。意味もいい字だし、何で使えないわけ? ぐらいに思っていました。本当、無知でした。

 戦うときには、相手が反論できないほど徹底的に論じなくてはなりませんでした。裁判官なんて、庶民の味方をしてくれる正義の味方でも何でもなかったです。
 けっして大岡越前みたいな立派な人ではなかったですね(怒)
 仕事したくない、事なかれな怠け者?って感じです(怒)。

 さてさて、何を書けばいいのかいまひとつわからず、散々悩んだ挙句裁判所がくれた、理由書の書き方の例に倣って、それよりはもう少し丁寧に書きました。

 (続く)

決意する

心にロマンというフィルターのかかった家族にとって天使のように可愛い玻南が生まれて、幸せいっぱいの我が家でしたが、当然ながら主人も私も半端じゃなく忙しい。

玻南が生まれたときに、結構な量の弛緩出血をしていた私は、どうにもこうにもダルくて、手足が自分のものじゃない様だし、腰も定まらない感じで、ちょっと動いては寝る、を繰り返していました。

玻南は5人目、ということもあって、そんなに慌てなくても期限内に区役所に出生届を出しにいけばいいと思って、忙しさにかまけて、届け出が遅れていました。

玻南が生まれてから2週間になる12月7日、主人が仕事の帰りに出生届を出しに行きました。私の中では、必要な事務手続きを行うだけのことで、こともなく済んでしまうものだと思っていました。

夕方、東区役所が閉まるちょっと前に出生届を出しに行った主人から、私の携帯に電話が来ました。
主人「あのね、なんかよく分からんのだけど、玻南の名前がね、使えん漢字だから、このままでは出生届は受理できんって言われたんだけど。どうしよう?」
私「とりあえず、どうしたらいいか、市役所の人に聞いてみたら?」
 子どものころから、あまりものおじしないせいかくだった私は、どんなことでも、分からないことがあれば、その担当の人にどんどん聞いて解決策を探る性質でしたので、戸籍で分からないことは、戸籍係の人に教えてもらって相談に乗ってもらって、「玻」の字を使える方法を探せばいいと考えていました。

 しばらくすると、また主人から電話が来ました。戸籍法の載っている本のコピーと、別表の2のコピーをもらったらしく、
主人「とにかく、ここにのってないから駄目なんだって。どうしよう?」
私「なんか、方法ないのか、担当の人に聞いたら?」
すると、電話の向こうでなにやらごにょごにょと話している様子。
主人「戸籍法って言うのがあってさあ、なんか、いかんみたい。役所の人も、これでは受理できんの一点張りでさあ。」

 この時、私は内心イラッとしていました。いい年した大の男が、いちいち携帯で「どうしよう?」なんて、おろおろする女々しさに、そんなことぐらい自分で考えろっ(怒)と思っていました。
 主人にしてみたら、独断で決めてしまうのではなく、私の意見も聞こうとしてくれていたんだと、今なら分かるのですが。
言い訳がましいことを言うと、なにせ、このとき私の体調は本当に悪かったので、「そんなことぐらい自分で考えろ(怒)」と思っていました。

しかし、なにせ、ただでさえかいだるいところに、このウジウジした(と私が感じた)主人の歯切れの悪さ。
主人「まあ、ちょっと変わるから、直接話して?」
ついに、私にバトンを渡してしまいました。

結局、私が戸籍係の人と話しても、当然のことながら答えは同じだったのですが
私「じゃあ、この字を使いたいときはどうしたらいいんですか?」
係りの人「そういった場合、家庭裁判所に申し立てをすれば、使用を認めてくれることもあります。どうしますか?」

もちろん、そんなこと私だって即決できませんので、主人に
私「とにかく、今日のところは一旦出生届を引き取って帰ってきたら? ちょっとゆっくり考えようよ」
と言い、その日主人は出生届を持ち帰ってきました。

そして夜。どうするか、家族で相談です。

長女 瑠都の反応
「えぇ~っ(怒)!! 『はな』は、絶対『玻南』だってぇ~。これ以上の字はないよ~」
長男 衿弥の反応
 ・・・しかし、これがまた、私の印象に全く残っていない。我が家は父子そろって、男ははっきりしない性質だからなのか??(笑) 
そもそも、その場に衿弥が居たのかすら覚えてないんだから、私の記憶もずいぶんとお粗末なものです。
そして、主人。
「やっぱり『はな』は『玻南』だよなあ。他にいい字ないよねえ。でも、駄目って言われたし。いっそ、ひらがなにする?」
と、すでに白旗モード。
私は、う~~~~~んと考えて、他の字をあれこれ考えてみたけど、考えれば考えるほど、瑠都の言うとおり、『はな』は『玻南』しかないという考えが強まるばかりでした。

私「やっぱり『はな』はこの字しかないよねえ。」
主人・瑠都「そうだよねえ。」

 ということで、駄目もとで、家庭裁判所に申し立てをしてみることにしました。

 こんな程度なんです。この申し立てのそもそもの私たちの意気込みは。
「ダメモトで、とりあえず、裁判所に言うだけ言ってみようよ。」

この申し立てがどういうものかも、裁判所の裁判官がどんな人種なのかも、そして、これが、国試の試験勉強のときよりも、大学の卒論書いたときよりも、比較にならないハードな、人生で一番必死に勉強する羽目になるなんてことも、全く知りませんでした。
この選択が、私たちをとっても大変な山に登らせることになるものだと、このときは夢にも思っていませんでした。

いやあ、無知ってある意味、本当に何よりも強いですねえ(笑)。
おかげで本当にいい勉強をさせていただきました(笑)

無知って、自由を奪うけど、向こう見ずなほどの勇気も、ユーアもくれますね。


昨日、アイスクリームを食べたくなった私は、長男・次男・三男のチ○チ○マントリオに、アイスを買い行く様に頼みました。

長男 衿弥が、みんなにリクエストを聞いています。みんな、それぞれ自分の食べたいアイスクリームのイメージを伝えます。
すると、三男 愛世が、「みんな、何を買うの‾? ドライアイスでいい?」

全員ピタっと黙り、次の瞬間大爆笑です。そりゃ~、アイスには違いないけどね~。
愛世には、アイスといえば、何でも食べられるものに思えたんだよね。

 とっても可愛い、間違いでした。
 もうひとつ。

 あるとき、お客さんが来ていたときの事。
ハニー(玻南)ちゃんが何をやっても可愛いと思えることが恐ろしいよね~、とはなしていると、いきなり次男の義弥が
「うちの母さんさあ、結構すんごいエロなんだよねえ~」
と言い出しました。反応に困った客人が
「どのへんが?」と聞くと
義弥「だってさあ、すぐ玻南のおしりとか触るし、すぐにチュウするし。玻南いやがってんのにさあ。」
母「だって、ハニーちゃん可愛いんだもん、しょうがないじゃん」
義弥「それがエロいんだって。」
客人「・・・・いやあ、それはエロとは違うと思うよ。」
やっとのことでそれだけを言いましたが、笑いを堪えきれずに吹き出してしまいました。

子どもの言葉の使い間違いは可愛いのですが、しょっちゅうドキッとさせられます。
どんな些細な間違いでも、1つ1つ、根気よく、丁寧に正しい用法を教えていかないと、こんな調子で大人になったら大変だと思いました。

何はともあれ、無知って事も、時にはいいもんだってことです。