2010年12月26日日曜日

ひと月以上たってしまいしたが、玻南2歳になりました。

もう、ひと月以上経ってしまいましたが、玻南、2歳になりました。
2歳の誕生日を迎えた感想は、「納得できない・・・」です。

まずは、玻南について。
 お姫として育ててきたはずなのに・・・。
「ハニーちゃん、ご飯食べた?」「くった」「『食べた』でしょ?」「うん。くった~(^-^)」
「ハニーちゃん、おいしい?」「ん、んまいっ」「『おいしい」でしょ?」「ん~まいっ」
なぜ、そんな言葉を・・・(泣)
 ふりふりを着せてきたはずなのに、裸が大好きで、この真冬に真夏のランニング一枚でベランダで遊ぶ、上は着ても、下はすっぽんぽん。着せると怒り狂って脱いでしまうのはなぜ?
 挙句は、お気に入りのものを持っていると、お兄ちゃんたちが近くに来るだけで「めっ」とあっちに行け、とたたいたり・・・(泣)姫、ご乱心が過ぎます・・・(;0;)
 先日お姉ちゃんと日向ぼっこしながら
「愛世といい、玻南といい、メロメロに可愛くて仕方がないと、こんな風になっちゃうのかなあ・・・。甘いから?でも、かわいいんだから、仕方がないよね。下の子はダメダメちゃんになるもんだよね。」
「ママ、今、サクっと躾を諦めたよね。そこ、もうちょっと頑張ろうよ」と励まされてしまいました。
「瑠都、任せるわ」
「え?私? そこ、ママの頑張るところでしょ」
とくぎまで刺されてしまいました。

 と、冗談はさておき・・・

もっとも納得できないのは、戸籍と住民票。
 引越ししたので、乳児医療証の住所が新しくなったものが送られてきました。もちろん、名前は「はな」になってました。わかっていたことだけど、乳児医療証をつらつらと眺めていると、とても違和感がありました。
 三男が小学校に上がる関係で住民票をとりましたが、やっぱり「矢藤はな」。じつに「なっとくできねえ~」って気分でした。
 市の図書館の案内は「矢藤玻南」で印字されてくるのに。健康保険証は「矢藤玻南」。通帳だって、学資保険だって、みんな「矢藤玻南」で印字されているのに。DMだって「矢藤玻南ちゃんへ」で届くのに。

 なんなんだ、この違いは。官僚っぽいこの役所のやり方は何なんだ(怒)

 とはいえ、役所としては、決められた法律通りにしているだけのこと。問題はこの法律。

 玻南の2歳の誕生日を迎えて感じたのは、この戸籍法施行規則のいびつさ加減です。
「玻」が戸籍統一文字として法務省に登録されていて(法務省のHPで、「戸籍統一文字」で調べれば見つけられますよ)、実際に戸籍に使用されているのに、なぜ使えない???

 この整合性のなさは、以前にブログで書いた通り、社会情勢やPC技術の実情に合わないので改正改正を加えた結果、変な建て増しをしすぎてつじつまが合わなくなっているところに原因があるのだと思います。

 法律が現状に追いついていない。この一言に尽きると思います。

 ブログどころではなかったこの二か月(今でも、まだ引っ越し後にメガネが見つかっていない状態ですが・・・)のあいだ、ぐるぐると考えていて私がたどり着いた結論は、施行規則の整合性のなさを何とかしないとこれからも私たちのような申し立ては続き役所も当人も困る、ということ。それを何とかして不公平感やちぐはぐ館をなくすために必要なのは、「戸籍統一文字はすべて使えることにする」この一言に尽きるってことです。

 これであれば、名古屋家庭裁判所や、名古屋高等裁判所が出した「たとえ戸籍統一文字であっても、現に使われているものであっても、それだけじゃ不十分」なんていう裁判官の頭の中にしか存在しない胡散臭い基準に頼らなくても、だれが見ても「そりゃ、もっともだ」と言える基準になる気がします。

 戸籍法の立法の経緯や趣旨からするなら、戸籍統一文字であれば役所の業務に支障が出ることはないし、「読めない」ことは戸籍法の精神にはないみたいだし(でなかったら、こんなにもたくさんのふしぎな読み方の名前が跋扈しているはずがないでしょう?)。ましてや「書ける必要はない」と常用漢字の選定の際にコメントもあったし。

 それでも、戸籍統一文字にPCで出せない文字がある(あるんですよね、これが)ので、戸籍法の立法趣旨にそぐわないとするのであれば、せめてJIS第2水準まで(これだと、少し手間がかかってもPCで必ず打ち出せるんですよ)という基準も満たす必要があるとするか。

 とにかく「すべては担当裁判官の頭の中」って現状だけは、もっというなら、「今回の裁判官ははずれだったよね~」なんて言わなくて済むくらいにオープンな基準が欲しいです。
 もちろん、法律の世界には唯一無二の事件が沢山あるのだから、法律ですべてをはっきり明記することは無理っていう事例がほとんどなのは知っています。でもね。
人間まっとうに生きていたら裁判所のお世話になることなんて人生に一度もないまま終わるのがふつうですよね。自分とは関係のない世界で、複雑な人間模様かなんかが絡んでくる事件と違って、子供の命名は、子供を持つ親ならだれでも経験する普遍的な行動で、ここに「同じものでも同じ結果にならない」なんていう法律の世界の常識世の中の非常識を持ち込まれても困りますよね。
 世界中の人間が行っている「命名」という普遍的な行動にまつわる法律は、だれからみても明らかな基準で判断しなくてはいけない。「戸籍法施行規則は限定列挙であってすべてを網羅しているわけではない(「曽」判決より)のであれば、じゃあ、どこまでの範囲なの?ってところをもっとはっきりしなくては。

 戸籍統一文字にしたら不満が出なくなるわけではないと思いますが、すくなくとも「戸籍統一文字にあるのに使っちゃダメな理由ってなにさ? 実際に使っている人がいるじゃん。」ていう不満や「立法趣旨に反していないよね。明らかに常用平易っていう基準が常用漢字である理由は何さ?常用漢字じゃない人名はどうみたら明らかに常用平易といえるのさ?」という不満、納得できない人は減るよね。

 その先のことは? それでも出てくる不満については、専門家が一字一字検討すればいい、と思います。でも、今みたいななんだかペテンにかかったような裁判官の理屈ではねられる不満はなくなると私は思います。

 この「玻」の一連の事件の流れと、戸籍統一文字の存在と、PC第2水準の意味と、今の戸籍法施行規則の不思議な状態をまとめて、戸籍法施行規則の見直しを求める意見書?歎願書?みたいなものを法務大臣に送り付けてやりたい、という野望に燃える今日この頃です。

 いつになったら実行できるかは不明ですけど。

 どなたか私の考えに賛同してくださる方で、いいアイデアをお持ちの方は
   yato.hana@gmail.com
までメールください。よろしくお願いします。

 それでは、よいお年を。

ひと月以上たってしまいしたが、玻南2歳になりました。、

2010年10月29日金曜日

引っ越しました

ついに、先月20日に引っ越しました。
 
 quintetにすごかったです。まずは、段ボールの山。結局荷造りして段ボールに入れるということは、今まで押し入れやたんすに入っていたものが表に出てくるということですが、これがすごかった。12畳あったリビングの半分まで段ボールが来て(もちろん天井までの高さで、です。この間に地震が来たら確実に死ぬと思いました)、ついに照明器具まで段ボールで埋まったので、仕方なく今度は隣の6畳の部屋に入れましたがこれも一緒の状況になり、急きょ玄関や廊下、キッチンや4畳半の部屋まで、寝室を除くすべての部屋に分散しましたが、それでも荷造りは引っ越し当日まで終わりませんでした。だって、もう部屋がないんですもの。
 次にすごかったのは、引っ越し当日のこと。引越し屋さんが部屋に入ってひとこと「うわっ」そして「お客さん、荷造りしてないものは持っていけませんから」「大丈夫です。積み込み終了までに終わりますからっ」と、引越し屋さんが積み込み作業をしている間にガンガン分別も何もなく、とにかく段ボールに突っ込む。そして、引越し屋さんがトラックに段ボールを積み込むことで生じた空きスペースに、新しく荷造りした段ボール箱をどんどん置いていくものだから、トラックにつも混んでいるにもかかわらず、部屋は最初とほぼ変わらない状況が午前中続きました。ピアノの運搬業者が来たのですが、段ボールの山に阻まれてピアノが運び出せなかったり、電気屋さんがエアコンの取り外しに来たもののエアコンに触れるところまではいれなかったりと、どの業者さんも「ちょっとすごいですねえ(笑)」と感心していました。そんなこんなで積み込んだ荷物は、きっちり6トントラック2台分いっぱいいっぱいでした。よかった~、安い業者の「大きいものは確実に運びます。で、4トントラック積み切り2台分で、残りはご自分の車で運んでいただくということで~、このお値段です。お値打ちですよ~」なんていう甘い言葉に惑わされなくて。そんなことしていたら、本当に荷物を捨てていくことになるところでした。午後の積み込みになると、部屋もだいぶ空いて来て余裕が出てきましたが、今度は荷造りの追い付かないものがあり、結局引越し屋さんも見境なく段ボールに突っ込むのを手伝ってくれました。そして、いよいよ積み込み終了、って段になって、「(引)もう、お荷物これで全部ですか?」「はい」「ここは大丈夫ですか?」と引越し屋さんが玄関わきの物入れの戸を開けると、そこには手つかずの荷物がびっしり。「…っ!!(驚)」よかったです。引越し屋さんに言われなければそのまま置いて行ってしまうところでした。もちろん、引越し屋さんと一緒に急いで段ボールに詰めましたよ。
 3つめにすごかったのは、引っ越し先の段ボール。段ボールにはみんな部屋番号が書いてあったのですが、これがそれぞれの部屋に入りきらない。そりゃあ、考えてみれば当然です。3LDKが4LDKになったくらいで、一部屋の大きさに大差がなければ荷造りの時と同じ状況になるのは明白でしたが、「広くなる~♪」と浮かれていた私にはその判断がつきませんでした。で、入りきりませんでした。そのため、最後はせっかくの分別も役に立たず、とりあえずは一番広いLDKに何もかもが突っ込まれることとなり、何が何だか分からなくなっていしまいました。
 4つ目にすごかったのは、退去後の部屋のゴミ。全部持って行ってもらったつもりでも、あとで掃除に来てみると、壁や窓には生活していた時と同じものが貼ったまま、掛かったままのものが山ほどありました。出てくるゴミ、なんだかわからない残骸、なんか、今までよくこんな汚い所に住んでいたものだと思うほどに汚れていました。廃墟マニアなんかが見たら喜びそうな有様でした。

 と、なんとか引っ越しも終わり、新しい生活と仕事が始まりましたが、荷解きは道半ばです。
 引越し翌日に一番困ったのは、朝学校に行くのにランドセルが出てこないことでした(笑)。朝から家族総出で片っ端から怪しいダンボールを開けて探しましたよ。今だから笑って話せますが、当時は必死でした。もう、向こう10年は引越ししたくないですね。

 玻南の裁判書類も、ようやっと見つかりました。また、続きを書きます。
でも、まだしばらくは無理かも(泣)。でも、頑張ります。気長に待ってやってください。よろしくお願いします。

2010年8月23日月曜日

初戦 VS 名古屋家庭裁判所の陣 ③ 初戦敗退(泣)

 ついに2学期。新学期早々に幼稚園のバザーで先週まで幼稚園に詰めっ放しで、今週からはいよいよ本格的に荷造りモードに突入です★ 引越しを来週の月曜日に控え、だんだん増えていくダンボールに囲まれてで暮らしています。公団の3LDKに住みながら、なぜか6tトラック2台分の荷物で、引越し費用も馬鹿になりません。できるところは自分でやってなるべくコストを抑える方針ですが、果たして荷造り間に合うのか? ドキドキです。

 うちのハニー姫は、最近「ブロージット玻南姫」と名前が変わっています。「え? ブロージット?それって、ドイツ式の乾杯だよね?」と思われた方、いい線行ってます(^0^)v。
 うちのブロージット姫、ちょっとお利口になってきて、「これ、流しに入れてきてね」と頼むと、いそいそと流しに運んでくれます。そして・・・・ブロージットって感じで、勢い良く流しに投げ込むのです。それが、硬いマグカップだったりすると・・・言わずもがな。流しの中のお茶碗やお皿の類は、これが勢い良く割れていくんですよね、しかも新しかったりセット物だったりするものから優先的に(泣)。うちの家族のお茶碗は全員が一人2個づつ全部で14個ありましたが、今は家族全員の分を合わせて3個しか残っていません。
 そこで、我が家のブロージット玻南姫に渡すコップは百均のプラコップのみ、という暗黙のルールが出来上がってしまいました(百均のプラコップは、他よりも軽いから)。お姫なのに百均・・・。なんか納得できない母です。
 ・・・しかし、彼女の凄さはそれだけにとどまらず。お買い物で、いそいそと勝手に子供用買い物カートにいろいろ入れてきて「あっ(ほめて)」と報告する姫。ある時「今日はいらないから、そこに返してきて」というと、胡瓜の袋をつかみ山の前に行き、いきなり勢い良くブロージット!!!・・・急いで取り押さえましたが、「何がいけないのよ!?」と言わんばかりに怒りたくるブロージット玻南姫。まったく、5人目にもなるといつ何時も女の子であっても油断してはいけないと痛感しました。

 そんな油断できない妹に比べ、三男の愛世。車に乗っていて「お母さん、今、バスにかわいい子が乗っていたよ。お目目がクリクリって大きい子」「(朝一緒に幼稚園に登園する玻南を見て)お母さん、ハニーちゃんかわいいねえ」と「お前が『かわいい』だろうっ!」と突っ込みたくなる発言が多発。穏やかで争いを好まず、親和的な愛世と、何事にも徹底して激しい玻南姫。なんか、間違ってるかも・・・と不安がよぎります。
             *      *        *
 さて、市役所とのやり取りではなんともしっくり来なかったのですが、それはそれ、これはこれ、と家庭裁判所の審判には「もしかしたらOKになるかも」なんて期待して待っていました。とにかく、うちのPCじゃ変換も容易だし、携帯だって出るし、何せ裁判所のPCでも印字されているくらいだし。簡単な字だし。後は親の心情でアピールして、「お代官様よろしくお願いします。」って気分でしたから。浅はかでしたね、本当に。
 
 そして、それはある寒い冬、多分木曜日の午後、突然やってきました。
 幼稚園から帰ってきて少しすると、ピンポーン♪とインターホンがなりました。確か「裁判所からの特別送達です」とか何とか言われたような記憶があります。裁判所に申し立てはしているものの、精神的にすっかり弛緩し切っていた私は、インターホン越の郵便やさんの言葉を聞いて急激に血中アドレナリン濃度が上るのを感じました。心臓はドキドキして、手が震えました。
 玄関で、受け取りのサインを書き、A4サイズの封書を受け取ると、とりあえずダイニングのテーブルの上に置きました。とりあえずは主人に「届いた」と、メールし、そのまま主人が帰るまで待ちました。

 主人が帰ってきました。主人と二人で封筒を挟んで顔を突き合わせて、誰も聞いていないのにひそひそと言葉を交わしました。

「来たねェ」
「うん、来たねえ。」
「意外と薄っぺらいねえ」
「うん。うすいな。薄っぺらいとさ、いい思い出ないんだよね。・・・受験の不合格通知とか?」
「・・・確かに。ヤなこと思い出させないでよ」
「ご~めん。でもさ。」
「うん、わかるけど。」
「どうかなあ」
「どうだろう。」
「・・・・とにかく、開けてみる?」
「そうだよね」

 といった感じで、おっかなびっくりあけました。私たちの血中アドレナリン濃度は上がりっぱなしです。本当に口から心臓が出そうな勢いで、バクバクバクバクと踊っています。

 それでも私は「いい返事だといいな♪」くらいに思っていました。どっちかって言うと、帰ってきた答案用紙の点数をどきどきしながら見るような気分でした。

 すると、以下の文面が目に入りました。



 平成20年(家)第3523号 市町村長の処分に対する不服申し立て事件
           
            審判
 本籍 (省略)
 住所 (省略)
 申立人  矢藤仁 昭和(略)年(略)月(略)日生
      (以下「申立人仁」という。)
 本籍・住所 申立人 矢藤仁に同じ
 申立人  矢藤清恵  昭和(略)年(略)月(略)日生
      (以下「申立人清恵」という。)

           主文
 申立人両名の本件申し立てをいずれも却下する。

           理由

第1 申し立ての趣旨および実情

 申立人は平成20年12月8日、名古屋市東区長に対し、二女玻南(はな)の出生届け(以下「本件出生届」という。)を提出したが、戸籍法50条2項に定めのある子の何用いる文字以外の文字を使用した名であるとして受理されなかった。しかし、「玻」はワープロ入力等でも難なく変換・表示される一般的な文字である上、古来より、瑠璃、玻璃と七宝のひとつに数えられる宝玉の一つであり、日本人の心に根ざしたもものである。また、「玻南」は、姉である「瑠都」と対をなすものであり、申立人両名にとって大切な宝玉であることを示す「玻」と、暖かく皆に囲まれた中で育つ「南」を指すものであって、次女が、家族みんなが待ち望んだ大切で、愛しい宝玉であるという思いが込められており、どちらの字がかけても、申立人両名の二女に対する深い思うが込められた名前になり得ない。このように、二女の名としては、「玻南」以外ありえないことや、「玻」は、日本人の心に根ざし、かつ常用平易な文字であることからすれば、本件出生届けは受理されなければならないものである。
 よって、名古屋市東区長の本件出生届の不受理処分に対し不服を申し立てる。

第2 当裁判所の判断

1 一件記録によれば、平成20年11月23日、申立人両名との間に二女が出生したこと、申立人仁は、同年12月8日に名古屋市役所に本件出生届を提出したこと、同区長は、本件出生届の子の名に使用されている「玻」の文字が戸籍法50条および施工規則60条に規定する子の名に用いることができる文字以外の文字であることを理由に本件出生届を受理しなかったことが認められる。

2 ところで、子の名には、常用平易な文字を用いなければならないとされ(戸籍法50条1項)、常用平易な文字の範囲は、法務省令でこれを定めるとされているところ(同条2項)、」法務省例である戸籍法施工規則60条は、常用平易な文字とは、①常用漢字表(昭和56年内閣告示第1号)に掲げる漢字、②別表第二に掲げる漢字、③片仮名またはひらがなのいずれかと定めているから、同条各号のいずれかに該当すれば、当該文字を子の名に使用することができる。もっとも、同条各号に該当しない文字であっても、家庭裁判所は、心理手続きに提出された資料、高知の事実に照らし、当該文字が社会通念上、明らかに常用平易な文字と認められるときは、当該市町村長に対し、当該文字を子の名に使用した出生届の受理を命じることができると解される)最高裁判所平成15年12t浮き25日決定。民集57巻11号2562頁参照)。
 これを、本件出生届に申立人両名の二女の名として記載された「玻」の文字について検討するに、まず、「玻」の文字が、社会通念上明らかに常用平易な文字と認められるか否かを検討する。
 この点、申立人両名は、「玻」の文字は、ワープロ入力などでも難なく変換・表示される一般的なものであると主張するが、ワープロ等で「は」を入力して変換した場合、すべてのソフトで一回で「玻」用例としては、「玻」に変換されるわけではないことが認められる。また、講談社「新大辞典」などの辞典に掲載されているが、その用法としては、「玻璃」のみであり、同単語も一般的に使用される単語とは認めがたいし、また、一件記録によれば、「玻」の文字を使用するb氏や地名等も多いと言うことはできない上、その他同字が社会通念上明らかに平易である文字であることを認めるに足りる的確な資料はないこと(なお、平成21年1月17日付の朝日新聞の報道によると、現在、文化審議会国語分科会の漢字小委員会は、常用漢字表の見直し作業をしているところ、日常よく使われる漢字として追加される191字に「玻」の文字は挙がっていないことが認められる。)に照らすと、「玻」の文字が、社会通念上、あきらかに常用平易な文字とすることはできないといわざるを得ない。
 そうすると、本件出生届を不受理とした名古屋市東区長の処分は、違法または不当とはいえないから、、申立人両名の本件申し立てをいずれも却下すること(なお、申立人清恵については、本件出生届をしておらず、申し立て権ないし本件申し立ての利益があるといえるか疑問があり、申し立て権などがない場合には本件申し立てが不適法となるし、仮に、もうしたてけんなどがあるとしても、上記の通り、本件申し立てには理由がないことになるから、同人本件申し立ても却下を免れない。)、主文の通り審判する

 平成21年1月26日
    名古屋家庭裁判所
     家事審判官   西田政博


 たったこれだけの短い文章でした。
 一番最初に「却下する」の文字が目に飛び込んできました。この文字を見たときには、子供の受験で不合格通知を受け取ったときと同じくらい「え?なんで?? どうして?」という気分でした。

 文面は平易で、一度読めば、裁判官の言いたいことが良くわかりました。「つまり、①ワープロ変換で簡単にできない機種がある②辞書で、「玻」の用例が少ない。③氏・地名が少ない④文化審議会国語分科会の漢字小委員会の見直し候補に挙がっていない。④同じ字の申し立てをした名古屋市瑞穂区の夫婦も棄却されているということでした。

 これを読んだとき、私はひどく落胆して、「駄目なんだ。法律の壁は厚い」なんて、ガックリ落ち込み、「これから、玻南の漢字はどうすればいいの??」なんて、目の前真っ暗な気分でした。
 一方、主人は「・・・使われていないって言うんなら、実際の使用例を集めてみたらいいんじゃない? 氏や地名も。ワープロ変換簡単にできないって言うんだったら、コジマ電気とかにいって、実際どのくらいの数が変換できてどのくらいの数が変換できないのかを調べたらはっきりするんじゃない?」と冷静にいいました。
 
 普段は優柔不断ではっきりしなくて、家の中の98%は私任せで肝心なことは全部私任せの怠け者な主人です。無駄に私の周りにいる暑い夏のとき、やたらと家中に変な棚を作って死蔵品を増やすとき、何回言っても冷蔵庫に適当に食べ物を突っ込んで死角を作り結果カビの培養をするとき、たたんだ洗濯物を適当にみんなの引き出しに突っ込んで必要な服の行方不明者を多数出すとき、子供の受験やお稽古で私がいっぱいいっぱいになっているときに「だから僕は嫌だって言ったのに」と「自分は苦労したくない」発言が出るとき、何でか油断できないお出かけのときに限って10年使い続けている色あせたしかも短パンをはいて来ていることに目的地で気づくとき、「金城武みたいだろう?」とか何とかいって後退前髪も含めて後ろで縛る痛々しい姿を見るとき、何日もひげをそらずにインチキくさい容貌になっているのに気にしないとき、深夜番組を見て朝起きれない子供みたいなことをするとき。「あ~、本当に離婚したい」と何度思ったか知れないダメダメ主人ですが、このときばかりは主人と結婚してよかったとつくづく思いました。
 冷静に審判書の中身を吟味して、冷静にその可否を判断できる主人がどんなに格好良く見えたか!!!  ・・・結婚して15年以上たって、いまさらながらではあるものの「つり橋理論」で主人が格好良く見え、惚れ直しましたね(笑)。
 そして、私たちの第二ラウンドが始まりました。   (続く)

2010年7月31日土曜日

初戦 vs 名古屋家庭裁判所の陣 ② 東区役所に「事件係属証明書」を提出しようとする

ブログ、書きたいことは山ほどあるのに時間がありません。

実は、念願かなって来月引っ越すことになり、今、家の中は戦争中です。(我が家は、引越しに限らず毎日が最前線体制なんですけど(笑))。

 子供が5人。上の子供二人が高校生というのに勉強スペースはリビングのテーブルのみ。寝室は未だに家族全員で雑魚寝。部屋がひとつ物置部屋になり、もうひとつは寝室。残りの一部屋は、小学校の後ろのロッカーみたいにカラーボックスが積み上げてある状態で半分が使えず、「この家に住むのも限界かも」と思い家を探して早5年が過ぎました。(つまり、4人目の時点で限界でした)
 やっと念願かなって、4LDKに引っ越せることになりました♪
 たった一部屋。されど一部屋。この差は大きい!!夢は「一人がひとつのベットを占領できる家」ってことで、二段ベットも買います。

 とにかく、嬉しい忙しさです。ウキウキワクワクです。

 さて、最近のハニー姫は、真夏の向日葵のように満開で笑い、怒ります。自分が笑っても怒っても、自分を取り巻く全ての世界はそれを受け止めてくれるもの、と信じきっているような、全身で自分の気持ちを表現する姿は本当に私たちを幸せにしてくれます。
 現在お外と絵本とおままごとが大好き。健脚にも程があって、朝からナゴヤドームの周囲を一周。時には矢田川まで遊びに行って、川の中にダイブすることもしばしば。そんだけ遊び倒しても、玄関に入るときには激しく怒って泣くのだから親も付き合いきれません。しかし、「もうっ(怒)、ハニーちゃんったら。でも怒る姿もまた愛らしくて素敵」と、泣き喚く姿をうっとり眺めたりしてるからハニー姫もやりにくいかも(笑)

 さてさて・・・

 家庭裁判所で「事件係属証明書」をもらったので、それで市役所にその書類を出して住民票に載せてもらおうと思いました。

 が、しかし。物事はうまくいきませんでした。

 この辺記憶が曖昧なので自信がないのですが、区役所に電話して、事情を話したんだったと思います。内容は「係属証明書を出してもらったので、これで住民票に『矢藤次女』とか言う形でいいので載せてほしい」とお願いしたのだったと思います。が、返事は「これに関しては、係属証明書があっても住民票に載せることはできない」ということでした。
 この件に関しては、かなり市役所の方と押し問答になりました。
 私たちが一番気にしたのは、住民基本台帳に基づいて行政が行う乳幼児保健衛生関係のサービス(予防接種とか、検診とか)が受けられなかったり、保育園には入れなかったりするかも知れないということでした。あと、この時期子供一人当たり一回だけいくらか支給される手当があって、間に合うかどうかも気になっていましたし。

 いろいろと押し問答になりましたが、結論から言って、住民票には載せられないということでした。前回家庭裁判所の服部さんが例に挙げていらっしゃった「300日規定」に引っかかって戸籍に乗せられない子供とうちの子供では、過去の前例として、扱いが違ったから、というのが理由でした。それを示すために、市役所は過去の新聞記事の写しを持ってきて、「前例がこうなっているから、対応できない」という説明でした。
 
 何事もお役所仕事っていうのは前例踏襲っていうイメージもあり、また、市役所の担当の方から受ける印象が「何があっても絶対に載せない、ということを死守するぞ」という固い決意のようなものが漂っていたので(あくまで私個人が感じた印象ですからね)、「これは無理だな」と思いました。
 こういった法律や行政の仕事の場合、正しい(もしくは最もよい)理屈が通るわけではなく、前例が最もものをいい、また、なるだけ担当者にとって当たり障りないことが優先される傾向になるようで、住民の幸せや要望よりも、行政側と面子が優先されるような気がしました。

 とにかく、「何が何でも聞き入れない」と決意している人の考えを覆すということは無理だということです。

 結論を言うと、「矢藤次女」という形でもどのような形でも、住民票には載らなかった、ということです。

 じゃあ、何が困ったの?

 と聞かれると、実は何も困ることはありませんでした。
 まずは、出生届よりも先に、出産一時金を受けとるとき、同時に健康保険証に「矢藤玻南」で載せましたし、乳児検診の無料券や予防接種の無料券は妊娠5ヶ月くらいで交付される母子手帳に一式添付されているので、出生届けは関係ないですし、保育園には入る予定もなかったですし、保険証があれば、学資保険も問題なく加入できましたし。

 困ったのは、出生届が不受理になったことと戸籍に載らなかったこと、住民票に載らなかったことぐらいですかね。別に海外旅行に行くこともないですから、パスポートもいらなかったし。つまり、実生活で「困った」を感じたのは市役所の中だけでした。

 興味深かったのは、名古屋市が発行する乳児医療証は、ちゃんと保険証に載っているとおり「矢藤玻南」で印字されていたことでした。そりゃそうですよね。だって、日本全国の市役所のPCの中には「玻」が「戸籍統一文字」として登録されているわけですし、実際に戸籍事務で使用されているのですから。
 しつこいですが「玻名城」さんだったり「不玻」さんだったりといった氏が存在していて、さらには沖縄
 の地名にも使われているし。なぜ氏はよくて名はいけない?整合性がないですよね。

 しかし、興味深かったのはそのことではないです。その後に市役所から送付されてきた乳幼児健診のお知らせの宛名です。
 三ヶ月検診のときには「矢藤仁さま お子様」となっていました。これを見た時にはなんか釈然としないものを感じましたが、「まあ、仕方ないかな。市役所の立場もあるし。」くらいに思っていましたが、私を怒らせたのは一歳半検診の通知です。
 「矢藤玻南ちゃん」で届きました。が、これが手が込んでいる。わざわざ「矢藤波南ちゃん」と印字した上でさんずいへんを修正テープで消して王へんに手書きで直している。
 「あれ? 乳児医療証のときには普通に印字されていたよね? これって戸籍統一文字だから市役所のPCにも入っているよね? なんでわざわざこんな手の込んだ偽装工作までするの?」と思いました。
 いえいえ、偽装工作ではなくて、本当に職員が職務怠慢で戸籍統一文字の存在を勉強していなかったのかもしれないですね。もしかすると教養の範囲の文字ではあるものの教養が足りなくてご存じなかったのかもしれません。人の悪意を疑ってはいけませんね。

 が、しかし。私には「わたしたちは、絶対にこの文字名前に使用することは認めないぞ」という決意を感じられました。この名前をめぐる裁判で、メールやお手紙を頂き、中には誹謗中傷と取れる内容のご意見をお寄せいただいたこともありました。インターネットでも散々な書かれようをしていましたが、どれも腹が立つということはありませんでした。この裁判の中で腹の立つことは二つしかありませんでした。一つは名古屋高等裁判所の「最初に結論ありき」で整合性のない言いがかりに近い理屈の展開と、この名古屋市東区役所から送られてきた一歳半検診のお知らせで行われた「戸籍統一文字なのに、使えない振りする偽装工作」の二つです。

 どんだけ、真剣に仕事したくないのか(怒)と、今思い返しても腹が立ってきます。規則や法律は私たち国民が幸せに暮らせるためにあるものであって、私たちは法律のために生きているわけではないのに(このことについては、後に「法律は絶対の正義ではない」ってところで)取り上げたいです。そもそも国民のために働くのが公務員だろう。自分たちの面子優先だなんて。ああ、腹立たしい。

 でも、ここで感情に流されていても仕方ないですし。
 
 私は、ここで問題なのは戸籍法の施行規則が現状にそぐわないために、このように整合性が取れないことがおきている、ということです。
 あるときは、戸籍統一文字なので当然打ち出すことができて、あるときは打ち出すことはできるけど「認めない」という意思表示のために使えるはずの文字を使わずにわざわざ他の文字を打ち出してから修正テープと手書きで記載する、といった煩雑な記載方法を選ぶ、という風に、現場が「簡単にできること」を「施行規則」に囚われてかえって複雑にするという、本末転倒なことが現場で起きているということです。


 やっぱり、どう考えても、この時代にそぐわない施行規則はその立法趣旨とその本質に立ち返ってシンプルなものにすべきだと思います。 

2010年6月14日月曜日

 平成20年(家)第3523号 市町村長の処分に対する不服申し立て事件
           
            審判
 本籍 (省略)
 住所 (省略)
 申立人  矢藤仁 昭和(略)年(略)月(略)日生
      (以下「申立人仁」という。)
 本籍・住所 申立人 矢藤仁に同じ
 申立人  矢藤清恵  昭和(略)年(略)月(略)日生
      (以下「申立人清恵」という。)

           主文
 申立人両名の本件申し立てをいずれも却下する。

           理由

第1 申し立ての趣旨および実情

 申立人は平成20年12月8日、名古屋市東区長に対し、二女玻南(はな)の出生届け(以下「本件出生届」という。)を提出したが、戸籍法50条2項に定めのある子の何用いる文字以外の文字を使用した名であるとして受理されなかった。しかし、「玻」はワープロ入力等でも難なく変換・表示される一般的な文字である上、古来より、瑠璃、玻璃と七宝のひとつに数えられる宝玉の一つであり、日本人の心に根ざしたもものである。また、「玻南」は、姉である「瑠都」と対をなすものであり、申立人両名にとって大切な宝玉であることを示す「玻」と、暖かく皆に囲まれた中で育つ「南」を指すものであって、次女が、家族みんなが待ち望んだ大切で、愛しい宝玉であるという思いが込められており、どちらの字がかけても、申立人両名の二女に対する深い思うが込められた名前になり得ない。このように、二女の名としては、「玻南」以外ありえないことや、「玻」は、日本人の心に根ざし、かつ常用平易な文字であることからすれば、本件出生届けは受理されなければならないものである。
 よって、名古屋市東区長の本件出生届の不受理処分に対し不服を申し立てる。

第2 当裁判所の判断

1 一件記録によれば、平成20年11月23日、申立人両名との間に二女が出生したこと、申立人仁は、同年12月8日に名古屋市役所に本件出生届を提出したこと、同区長は、本件出生届の子の名に使用されている「玻」の文字が戸籍法50条および施工規則60条に規定する子の名に用いることができる文字以外の文字であることを理由に本件出生届を受理しなかったことが認められる。

2 ところで、子の名には、常用平易な文字を用いなければならないとされ(戸籍法50条1項)、常用平易な文字の範囲は、法務省令でこれを定めるとされているところ(同条2項)、」法務省例である戸籍法施工規則60条は、常用平易な文字とは、①常用漢字表(昭和56年内閣告示第1号)に掲げる漢字、②別表第二に掲げる漢字、③片仮名またはひらがなのいずれかと定めているから、同条各号のいずれかに該当すれば、当該文字を子の名に使用することができる。もっとも、同条各号に該当しない文字であっても、家庭裁判所は、心理手続きに提出された資料、高知の事実に照らし、当該文字が社会通念上、明らかに常用平易な文字と認められるときは、当該市町村長に対し、当該文字を子の名に使用した出生届の受理を命じることができると解される)最高裁判所平成15年12t浮き25日決定。民集57巻11号2562頁参照)。
 これを、本件出生届に申立人両名の二女の名として記載された「玻」の文字について検討するに、まず、「玻」の文字が、社会通念上明らかに常用平易な文字と認められるか否かを検討する。
 この点、申立人両名は、「玻」の文字は、ワープロ入力などでも難なく変換・表示される一般的なものであると主張するが、ワープロ等で「は」を入力して変換した場合、すべてのソフトで一回で「玻王例としては、「玻」に変換されるわけではないことが認められる。また、講談社「新大辞典」などの辞典に掲載されているが、その用法としては、「玻璃」のみであり、同単語も一般的に使用される単語とは認めがたいし、また、一件記録によれば、「玻」の文字を使用するb氏や地名等も多いと言うことはできない上、その他同字が社会通念上明らかに平易である文字であることを認めるに足りる的確な資料はないこと(なお、平成21年1月17日付の朝日新聞の報道によると、現在、文化審議会国語分科会の漢字小委員会は、常用漢字表の見直し作業をしているところ、日常よく使われる漢字として追加される191字に「玻」の文字は挙がっていないことが認められる。)に照らすと、「玻」の文字が、社会通念上、あきらかに常用平易な文字とすることはできないといわざるを得ない。
 そうすると、本件出生届を不受理とした名古屋市東区長の処分は、違法または不当とはいえないから、、申立人両名の本件申し立てをいずれも却下すること(なお、申立人清恵については、本件出生届をしておらず、申し立て権ないし本件申し立ての利益があるといえるか疑問があり、申し立て権などがない場合には本件申し立てが不適法となるし、仮に、もうしたてけんなどがあるとしても、上記の通り、本件申し立てには理由がないことになるから、同人本件申し立ても却下を免れない。)、主文の通り審判する

 平成21年1月26日
    名古屋家庭裁判所
     家事審判官   西田政博

2010年6月13日日曜日

初戦 vs 名古屋家庭裁判所の陣 ② 家裁に申立書を提出する

 我が家の姫は、今、とっても女の子になってきました。ピンクが大好きで、服を着ていてもピンクの服を見つけるとひっぱりっ出してイソイソと上から着ようとします。
 あと、不思議なことに、お兄ちゃんのパンツが大好き。お兄ちゃんの引き出しが少しでも開いていると、隙間をこじ開けてパンツを引っ張り出して、イソイソとはくのです。その姿のいじらしいかわいらしさに、何度魂が口から出て行きそうになったことか…。
 極めつけはバイオリン。次男と三男がバイオリンを習っているのですが、その練習を見つけるや否や飛んできて、「ここにバイオリンを挟んで♪」と言わんばかりに小首をかしげてポーズをとり、「あっあっ」と要求するのです。そこでバイオリンを挟んで、弓を持たせて、母が手を添えてキラキラ星あたりを一曲弾いてやると、それはそれはうれしそうに笑って、「あっ」とお辞儀(ありがとうございました)してくれます。その愛らしさや、見るものを強制的に天国に送っちゃうかと思うほどの威力です。ああ、親馬鹿万歳な人生です。

 すみません。 で、今回は家庭裁判所に提出した家事審判申立書の写しです。

1ページ目(表紙)は、本籍地や住所や氏名、生年月日や職業を書きましたが、表みたいになっていて、入力しにくいし、内容と関係ないので省略します。
 ちなみに、ここに貼ってあった収入印紙は800円でした。切手代も含めると1650円の出費でした。うちは毎日6個お弁当を作ります。その一回分が1000~1500円くらいなので、想像していたよりはリーズナブルでした。

 で、2枚目
 
 申し立ての趣旨
 愛知県名古屋市長に対し、平成20年12月8日申立人がなした 二女玻南の出生届を受理すべきことを命ずる旨の審判を求めます

 申し立ての実情

1 申立人は平成20年12月8日愛知県名古屋市長に対し、申立書添付の出生届を提出しましたが、戸籍法第50条第二項に定める文字以外の「8日愛知県名古屋市長に対し、「8日愛知県名古屋市長に対し、「玻」が名前に使われているために受理されませんでした。

2 しかし、子の文字は戸籍法に記されている様に平易なものであり、ワープロ変換、形態での変換でも難なく表示される一般的な文字です。また、古来より、瑠璃、玻璃と、七宝に数えられる宝玉の中に数えられる宝玉の一つです。あね、瑠都と対をなす様、長女同様私たちにとって大切な宝玉であることを示す「玻」また、暖かく皆に囲まれた中で育つ「南」は、どちらの字がかけても、私達の二女への深い思いの込められた名前になりません。玻南の字は、家族皆が待ち望んだ、大切な愛しい次女という、愛しい宝玉であるという思いが込められています。よって、これ以外の字はなく、また子の字は日本人の心に根ざしたかつ平易な字であり、受理されるに適していると思料します。

3 したがって、名古屋市長の届出不受理処分に不服を申し立て、玻南の字を持って、次女の名前とする出生届をお認めいただきたく申し立ていたします。



 今読み返してみると、なんとこっ恥ずかしい文章なんでしょう…(照)
 確かに、私達の心情としてはそのとおりなのですが、これでは駄目だと今ならわかります。今の知識をもってしてあのころに帰れたら、きっと勝てたに違いないのに。 たらればを言ってもキリがないですね。

 で、何で子の文になったのか?
 実は、この理由書を核に当たって、家庭裁判所からいただいた資料の「申立書の書き方」の例文をそのまま引用して、自分たちの状況に合わせただけだからです。 
 その資料を探してみましたが、見当たりません。また、見つかったら、その原文もアップしますね。

 とにかく、平成20年12月10日に、何とか書き上げて提出しました。この程度の文章ですが、私たちみたいな素人にとっては、これっぱかしの文章でさえも、かなり悩んで書き上げたのです。
 小学生の作文といい勝負の内容でしたが、これで、「玻南」と戸籍に登録できるようになるんだと思っていました。
 提出したときには、私はとても楽観的で、「早く結果が出てくれないと、年賀状の印刷に間に合わないから、早くして欲しいなあ」なんて思い、受付の人に「いつごろ結果が出ますか?年賀状を作らないといけないので、早めに決まるといいんですけど。今年の年賀状は、『生まれました』で、名前も載せないといけないし」なんて聞いてました。
 受付の人は、「裁判官にはなるべく急ぐように伝えますが、大事な内容ですし、他の裁判も順番に見ていかないといけないので、2~3週間で結果が出るってものではないですよ」という様なことを言われました。
 
 また、その時に、「戸籍に載らないと、住民票にも載らないと市役所に言われたんですけど、あんまり長くかかると、玻南の住民票がなくて健診や予防接種とか困るんですけど。」と話したら、受付の人も考えてくださって、次のような事件係属証明書を出してくれました。


   平成20年(家)第3523号

           事件係属証明書
            申立人 矢藤仁
            申立人 矢藤清恵
            事件本人(出生届未了)玻南
              平成20年11月23日生

 上記申立人両名の申立てに係る市町村長の処分に対する不服申し立て事件は、現在、当庁に継続中であることを証明する。

           平成20年12月10日
            名古屋家庭裁判所
            裁判所書記官 服部寿楼


 そして「300日規定なんかで、父親の名前をめぐって裁判をしている人とかの場合、この方法で、とりあえず住民票に載せてもらえるケースもあるみたいだから、この書類で市役所と相談してみてください。300日規定の人とはケースが違うので、必ず大丈夫とはいえませんが。」といった内容のことをおっしゃいました。

 服部さん(だったのかしら?)、ほんとうにありがとうございました。結果から言えば、これは効力がなかったのですが、そのお気持ちが本当に嬉しかったです。服部さんのご親切、絶対に忘れませんね。本当に、嬉しかったです。

 そして、住民票の問題解決の糸口(かも知れないとこの時は思いました)を得たのが嬉しかったのと同時に「あれ?やっぱり『玻』って、裁判所のPCでも出力できるじゃん。やっぱり、認めてもらえるよね」なんて思っていました。そりゃ、戸籍統一文字なんだから、法務省の管轄で出力できない訳がないんですが、そのときは知らなかったので、「やっぱり、問題ないよね」なんて更に安心していました。すぐ解決するもんだと信じ込んでいました。

続く

2010年5月17日月曜日

ちょっと寄り道・・・

「初戦」の文章、実は優に10日以上前に入力していました。

しかし、家庭裁判所の書類や何やかんやを出してきて入力をするところで挫折。
毎夜毎夜、「パパ、今夜こそやるよ」と言いつつ、ある夜はパパが、次の夜は私が、寝かせつけの後帰らぬ人となって朝を迎え続けたので、今日は、途中のままアップすることにしました(つまり、今夜もパパが帰ってきませんでした)。

 家裁の内容は、追って入力していきます。多分、ここまでで、日にちとか、細かい辺りが不正確な気がします。自分の年齢はもちろん、子供の生年月日やクラス、担任の先生の名前も覚えられない私なので、そこは気づいたら訂正しますので大目に見てください(笑)

 ここ最近で一番感心したのは、三男義弥が小学校から持ち帰ってきた「家庭調査書」。学校から、「去年提出したものに変更があれば、赤で訂正して提出してください」といわれました。「どれどれ、うちは、ほかの子供の学年を訂正しないと」と、赤ペンを持ってみてみると、不思議なことに、すでに長女は高校2年生、長男は、今年入学した高校の一年生、三男はすでに年長さんになっていたのです。
「???今年新しく書いたんだっけ???」と思い、記入日を確認すると、ちゃんと去年の4月。「ま、去年一年間さしつかえなかったし、いっか♪」と、そのまま再提出しました。

 他にも、長男の中学校の地区懇談会で、「担任の先生はどなたですか?」と聞かれ「佐藤先生です」「?うちの学校に佐藤先生はいらっしゃいませんが?」「えっ?そうでしたっけ? あれ? 一年J組の、数学の先生ですが・・・」「じゃあ、こちらで調べておきます。」ということもありました。

 また、長女のクラス懇談会に行って、「すみません。二年生で、松野先生のクラスですが、何組ですか?」と聞いたこともあります。
 長男と長女の家庭調査書は、子供の生年月日と学年が一致しなくて、子供が書き直したこともあります。

 そんな自慢にもならない話ですが、毎年変わっていくものを覚えていられないのは、私だけってことはないですよね?

 こんなことばかり書いていると、「この人信用できないかも」って思われそうで心配ですが、機械的に変化するものは覚えられませんが、感じたこと、考えたこと、話し合ったことは覚えてますから、大丈夫ですよ。ほんとうに、大丈夫ですよ!!

 で、感じたこと。

 一体、「常用平易の基準って何?」ってことです。
 わたしたちは、この「明らかに常用平易」って言葉に泣かされてきました。だって、「明らかに常用平易」の判断基準が明らかじゃないんですもの。そうでしょ?

 今回の最高裁判所の判断の根拠でさえも「明らかではなかった」んですもの。

 「明らかに常用平易」の根拠は、ここまで私たちが調べてきた判決文はどれも曖昧で、普遍性がなくて、個々の判断に任されてきたんですから。

 よく使われる「曽」判決は、「曽」を常用平易だとする理由は示しても、そこから「明らかに常用平易」の基準を見つけることはできませんでした。
 「悠」の判決もよくわかりませんでした。しいて言えば、画数は基準になるのかしら?
 もっとも強烈だったのは、琉球の「琉」判決。市長までが「認めてあげたい」なんていっている。そりゃあ、市長さんいい人なんだろうけど、自分が公職者として発言する言葉じゃないよねって心の中で突っ込んでいました。個人の感情と、職務上の立場は混ぜちゃいけないでしょうに。なんか、判決文は、「OKの結論ありき」って気がしました。でも、歴史があればいいってことでしょうか?
 
 でも、そんな中でもっとも分かり易かったのは、今回参考にした「穹」「祷」判決でした。判断基準を文字ごとに定めるのではなく、最初に普遍性のある枠組みを提示した上で、文字の検討をしていました。もっとも公正な印象の判決文でした。
 個人的には、「誰が見ても同じ基準でその文字の検討ができる」様に書かれている判決文は、この二つしかありませんでした。
 もっとも、その基準自体の善し悪しの判断は、人によって分かれるところかと思いますが、少なくとも、名古屋高等裁判所の裁判官の判決や、最高裁判所第二小法廷の裁判官の判決みたいな、「その判断基準と理由は、裁判官の頭の中」っていうアンフェアなものじゃないだけ、数十倍も数百倍も公正でいいものだと私は思います。

 そうそう、最近読んだ新聞で、とある裁判官の手紙を見つけました。
「裁判は争いごとを裁くもので、関係者全員に満足のいく結果を出すことはほとんど不可能と言ってもいいでしょう。不満を表されるのも、裁判の宿命だと思っています。(5月17日付中日新聞朝刊31ページ)」

 私の持っていた裁判のイメージとはずいぶん違っていて、なんか、ね。
もっとも、この手紙を書いた裁判官が述べているのは、放火犯の裁判の後、裁判員に向けて書いた手紙なので、それについて述べているのかもしれないけど。私たちのケースとは違うのかもしれないけど。
 うまく言えませんが、なんか、こんな裁判官嫌だなあ、って思ってしまいました。こんなものなのかなあ?

 
 ずいぶんと話はそれましたが、不服申し立ての間ずっと思っていたのは、「一体、名前に使える漢字の基準って、本当にこれ(戸籍法と施行規則)が適切なのかなあ?」ってことです。

 何度もしつこいですが、そもそも戸籍法が定めた「常用平易」の目的は、①本人と周囲が困らないことです。そして、手書きだった時代、略字や下手したら誤字もあった(らしい)ことから、②戸籍事務に支障が出たのでそれを防ぐ目的です。

 この前見直しを発表していた常用漢字の判断基準は「書けなくても、読めてPC変換できればいい」でした。確かに、PCはカナを正しく入力しさえすれば誤字脱字は防げますし。

 まさか、この前常用漢字に入ることになった「鬱」が平易で、スラスラ書けると思っている人はいないですよね? 私は仕事柄、書けますけど(ちょっと自慢?)、けっして平易だとは思いませんよ。

 

 それと、「常用平易の範囲は、常用漢字と別表2」という決まり。これも、どうなんでしょう?

 この前行われた文化審議会国語分科会漢字賞委員会で、阿辻委員(この方、人名用漢字の見直しの委員会のメンバーも兼ねています)は、「常用漢字だから、そのまま子供の名前にふさわしいというふうには100%ストレートには行かない」と述べています。
 
 私もそう思います。「病」とか「苦」「悪」「呪」「嫌」とか。名前についたら、「えっ!?」と驚く文字って、結構沢山ありますよね。

 それに、文化審議会国語分科会漢字賞委員会の金武委員(この方も、人名用漢字の見直しの委員会のメンバーも兼ねています)は「玻」について「これは常用漢字ではなくて、人名用漢字に追加する方向の検討が必要とだと考えます」と述べています。

 私も、そう思います。
 でも、早まらないでくださいね。ここで言いたいのは「だから、『玻』は、人名にふさわしい」ってことじゃなくて、常用漢字と人名漢字は、別に検討する必要があるってことです。

 また、金武委員は、こうも述べています。「私は、親が自分の子供につける名前を、できるだけこの字を使いたいと言う場合には尊重すべきだと思うのですが、常用漢字に入れる理由と名前につけたい理由とは多少違うところがあると思います。そしてこれは、人名漢字に追加する要望というのが妥当であると言うことで、現在の人名用漢字を見ても、確かにこれよりも難しい字が沢山入っており、そういうバランスを考えると、これを追加してもいいのではないかという気がしますので・・・」と述べています。

 私もそう思います。「玻」は、他の人名用漢字とのバランスを考えると当然追加されていいと思います。
 でも、早まらないでくださいね。ここで論じたいのは「玻」のことではなく、人名用漢字に追加されてもいい筈の字はまだまだ沢山あると思うってことです。

 じゃあ、どれを追加して、どれを削除したらいいのでしょうか?

 そんなこと、私にはわかりません。「玻」は、当然追加されるべきだと思いますけど。

 皆さんなら分かりますか?
 分からないでしょう?
 だって、どの字がどんな価値を持つかなんて、人それぞれで、すべての人の思いを理解するなんて私にはとてもできません。

 病院のカルテに時々登場する「不定愁訴」って言葉、ご存知ですか? どこも悪くないんだけど不調を訴えることを言います。この「愁」を名前につけている知り合いがいます。

 「え~? 愁うって言う字、いい意味ないじゃん」と心の中で思いましたが、理由がすばらしかった。
 宗教入ってて申し訳ないですが、旧約聖書イザヤ書の中に「彼は愁いの人で」と、イエスキリストについて表現してういるところがあるのですが、彼らはその言葉にちなんで「イエス様のように人の悲しみを理解する人に」と願って「愁」をつけたそうです。
 なんか「愁」が、すっごくいい字に見えませんか? 私はちょっと感動しました。

 とにかく、親の思いの善し悪しまで、わたし達第三者が規制するのはおこがましいって思います。

 じゃあ、規制しないで野放しにするのか?
 
 それも、どうでしょうね? 親の思いは沢山ありますが、やっぱり決まりごとは必要なように思います。
子供は親の宝ですが、社会の宝でもありますから。

アンケートの回答にこんな意見がありました
・最近の子供に変わった名前をつける親はDQNと呼ばれていることはご存知ですか?
ヤンキー上がりの親や、バブル世代の親が多いようです。
DQNネームから、親がモンスターだということが分かるようです。
本当にお子さんのことを考えられているとは思えません。親のエゴです。


 いやあ、うちの子には当てはまらないと思いましたが(笑)、この方のおっしゃることも一理あります。
人のことをいえた義理ではありませんが、びっくりする名前って、ここ最近多いですしね。
まあ、その辺りはまた後で。

 とにかく、無条件でOKはないかな、と思っています。

 じゃあ、どの変に線引きをすべきなのか?

 この辺が私の悩みどころでした。 この、戸籍法の趣旨に、今となってはそぐわなくなってしまった施行規則、これは明らかに変。現在施行規則が人名用としている漢字と、人名にしてほしいと言われる字との常用平易さのバランスは、強烈に悪い。調べれば調べるほど、整合性もないし、合理性はかけらもない。どんな基準で決めてんだか、さっぱり分からない。

 でも、戸籍法の趣旨は、もっともだと思います。問題は、場当たり的に増改築を繰り返した結果迷路みたいになっている施行規則の歪さ。これがすべての問題の根源かもって思いました。

 じゃあ、どうしたらいいんでしょう?
 そして、問題は、人名用漢字の枠組みだけでしょうか?
その運用は問題ないんでしょうか?

 私達がしたアンケートに寄せられた意見の中に、こんなのがありました。

・私の身近に、名前で非常に苦労している人がいます。傍から見ていて可哀相に思うくらいです。
子どもには、誰にでも読める名前をプレゼントするのがベストだと、個人的には考えます。
・違う漢字で当て字でハンナでもいいじゃんっておもう…
・仕事をしていて、最近の子供はなぜこんなに難しい漢字を付けられているのか不思議になります。
・すらすらと読めません。後々さまざまな不都合が出てくるでしょう。
困るのは子供です。結局改名することになるのではないでしょうか。
・名前には、当て字で全く読めない名前もある。それにくらべれば、全く問題ないと思う。
・多分みな読めませんよ。子供への最初のプレゼント!ですが、後々いろんな意味で将来 子供さんが喜びますか?皆から親しみやすいほうが素敵だと思いますが
・今の頭の悪そうな読み方をする名前に見える。
・間違って読みようのない平易な漢字を認めないことは許せないことです。
・今の世の中、もっと読みにくい、読めない当て字の名前が氾濫する中、「玻」は読みにくい訳でも難しい訳でもなく、名前に使用しても何も問題ないと思います。
・最近はとても読めない漢字が名前にあててあり小児科の看護師としては驚きです。空快とかいてスカイと名前がありましたよ。
・読みやすい漢字なのでいいと思います。子どもの名前は悔いが残らないように付けたいと思いました。


 これらの意見に共通するキーワードは「読み方」です。
 少し前に、SAPIOだったかなあ?表紙にすごい見出しが書いてありました。「日本人は年々歳々馬鹿になっていく」だったような。中身は、何かのジョークかと思うほど笑えるものばかりでしたが、これが本当だったら、ちょっと日本の将来が心配かも・・・と心配になるようなないようでした。

 その中に、子供の命名についての記事が載っていて「暴走万葉仮名」ってタイトル(だったかなあ?)の記事がありました。そのすごいタイトルに魅かれて恐る恐る読んでみました。だって、うちのことが「暴走万葉仮名」って言われていたらショックですもの。

 まあ、それはさておき、「読み方」です。「空快とかいてスカイ」。これは実在なんでしょうね、きっと。

 他にも「小宇宙」とかいて「コスモ」。「宇宙」と書いて「ソラ」。「地球」と書いて「ガイア」「テラ」みたいな。もしかしたら「真剣」とかいて「マジ」とか?
気持ちは分かりますよ。「宇宙」と書いて「そら」。思わずその前に「めぐりあい」ってつけたくなるのは私だけですか?なんか、歌が聞こえてきますよ「そして時が健やかに♪」って。
 「地球」とかいて「テラ」そのあとに「へ・・・」とつけたくなりますもん。おもしろかったですよね。すごく。

 でも考えました。戸籍法の趣旨に反するのかどうか?
 あくまで私個人の感想を述べるなら、アウトでしょう。
 私の中での「玻南」との線引きは、「その読みが辞書に載っているか否か」です。
「玻南」は教養があれば読めますが、明らかに教養ではない範疇の読みは駄目かもって思います。そもそも、「コスモ」って入力して「小宇宙」って変換できないし。「そら」「てら」って入力して「宇宙」は出ないし。
「玻南」は、一文字ずつならちゃんと変換できますよ。ちなみに、しつこいですが、どちらも戸籍統一文字ですし。お役所のコンピューターに入っていますよ。法務省のホームページで検索してください。出てきますよ~♪

 ここが私の線引きです。じゃあ、「夜露死苦」はOKか?って聞かれると、う~ん、それは「暴走万葉仮名」の部類だと思うけど。そこは、コメントしません。だって、もしかすると「夜露が苦しんで死ぬ人の慰めになる」なんていう思いかもしれないし。まあ、これはちょっと苦しいこじつけですが、つまり、言いたいのは、親の思い入れについては、他人と法律が言及する権限はないと言うことです。ちょっと左利きになった気分で言うなら、「内心の自由を侵すな」ってところでしょうか?
 それが許されるのは、親兄弟や親戚、友人など、その人の人生に深くかかわって、ともに歩んでいく覚悟のある人たちだけって私は思います。…となると、その資格のない親兄弟親戚や友人もあるってことで、このデリケートな部分に関しては一言で線引きするのは難しく、立ち入ることに慎重さが求められるんだと思っています。

 アンケートでは、カウント集計したわけではありませんが、「明らかに漢字本来の読みと異なる当て字でいいじゃん」と「漢字本来の読みと異なる当て字は駄目でしょ」の意見が、ほぼ3:7くらいでした。

 漫画世代の私にとって、漢字にまったく違うルビを振るのは慣れ親しんだ方法ですが、それはあくまで漢字の熟語の意味を知っていいるからこそ味わい深いと思っています。そして、それはあくまでサブカル世界に特化した手法であると思っていて、公的な文書に載せる、公的な名前はアウトだと思っています。すみません。

 戸籍法の趣旨に照らしても、それは駄目かなって。
 教養では読めないものである限り(確かに、東大で岡田俊夫が「オタク学入門」の講座を開いたことを思えば、サブカルも教養と言えるかもしれませんが、知らなくても恥ずかしくない内容であることから考えると、教養の範疇と言うよりも、趣味の範疇に入れるべきかと思います。私は「知っていたい」とても興味深い内容でしたが。)、「常用」でも「平易」でも、明らかに違うと思います。 すみません。

 が、しかし。これが、市役所の窓口で通っていることに、不思議を感じます。いや、いいのかな?
漢字は「常用平易な文字」と定まってはいるけど、読みには規制がないから?

 この前NHKを見ていて、「『日本』の正式な『ニホン』でも『ニッポン』でも、どちらでもよくて、読みは決まっていない。それは、日本人が読みよりも漢字を大切にする民族だから」というコメントを聞き、すっごく驚きました。そう考えれば、明らかに別物の読みもいいのか?? と迷うものの、それはちょっと違う気がします。

 反対に、「沖田総司の漢字が、総司でも宗二(だったかな?)でも間違いではない。なぜなら、当時は読みを重視して、漢字は適当にあてがったから」という記載を読んだこともあるので、この二つから考えると、日本人の漢字と読みに対する鷹揚さを感じます。

 でも そもそも、明らかに当て字ですらない読みと漢字の組み合わせを戸籍法は想定していなかったんでしょうね。これから先、法務省はこれをどうするんでしょう? 放置するのかな? いや、それはまずいんじゃないかなあ? 何がって具体的にはいえませんが、なんとなく、本能的に日本が危なくなりそうな気がして。
ごめんなさい。でも、なんか漠然と不安を感じます。

 でも、現行の戸籍法じゃ、当て字ですらない組み合わせは問題ないってことなんでしょうね?
 でも、なんか、漠然と、不安を感じます。


 話し戻って、じゃあ、漢字はどこに線を引くの?ってなると、どうするんでしょう?

 アンケートにはこんな意見が寄せられています。

・命名は、字画重視で姓名判断・親のこだわりで と人によってそれぞれですが、みんな子供に対する愛情を持って考えています。突飛な字を使っているわけでもないのに、人名漢字でない ということだけで受理されないのはとても残念です。”使えないことが分かっているのにわざわざ使わなくても・・・”という意見の人がいるのも事実だと思いますが、この字はこの子にぴったり!と一度思うと、使えないから・・・と言われても、名前を変えずにイメージに合う新しい字を見つけるのはとても難しいです。我が家の三男はそれに当てはまってしまいますが、人名漢字であるか・・・を問題にするならば、いわゆる当て字 読めない名前 も問題にされてもいいのではないでしょうか?人名漢字を使っているからどんな読み方でも受理 というのも問題はあるのでは?読めない名前をつけた張本人が言うのはおかしいかもしれないのですが。
玻南ちゃん キラキラと輝く明るい女の子になりそうなイメージが私にはあります。
お姉ちゃんの瑠都さんの名前もそうですが、ご夫妻のこだわりとあふれる思いがたくさんつまった、とてもいい名前ではないでしょうか。どんな判断が下されるのか分かりませんが、みなさんの声が少しでも後押しになって、早く玻南ちゃんの出生届けが受理されることを心から願っています。
・私は 漢字の使用に賛成です。よめなくもないから。
常用漢字ではなくても、名前に使用する場合は認めてもいいのではないかと思います。
・ ご両親には何かピンとくるものがあったのでしょうが,もともと「ハ」という読みを探しての当て字のようですし,この字に固執する理由がわかりません。2つの宗教から引っ張ってきたというこじつけも理解し難いです。「常用平易な字とは認められない」はその通りだと思います。この世に存在する漢字を全て使ってもいいということなら,常用漢字を設定して,あふれかえる漢字からだれでも使える漢字を義務教育で習うように整理してくれた先人たちの気持ちも踏みにじっていると思います。
ある程度のルールにのっとって生活することは社会人として必要でしょう。
・「親が子供に与える最初のプレゼント」と言うコメントに感動しました。漢字としてある以上認めてもいいと僕は思います
・名前は親の勝手な思い込みでつけるものではなく その子が死ぬまで呼ばれ続けられ愛される名前がいいと思います。一年名無しは親の傲慢です!私はパートで電話のオペレーターやってますが 読めない名前が多すぎます。多分ずーっと苦労されているのでしょう。誰もが読める字をつけて下さい
・玻南…良い名前だと思います そして良い字だと思います 何がいけないのですか?親が最愛の子につける名前なのに、常用平易な漢字などと他人がとやかく言う事ではないと思う。
・新聞読みました。はなちゃんとてもステキな名前だと思います。同じ子を持つ母親として応援します(*^o^*)1日も早くはなちゃんの名前がつく事を願います。親として初めてのプレゼントで一生涯の物ですから絶対に付けてあげたいですよね。頑張って下さい。アンケート①名前に使って良いと思います②常用平易な漢字と思います。
・お子さんに納得の行く名前を贈りたいというお気持ち、二児の母親として深く感銘を受けました。
しかしひとつ思うところがありましたので、お節介とは思いながら記させてください。
瑠璃も玻璃も照らせば光るという諺を、ご夫婦は優れたものは何処でも際立つという意味合いで捉えておられ、また一般にそれで通用しているようですが、この諺には別の解釈があります。わたくしの持っている「故事ことわざ辞典」(中日新聞社が昔配布したもの、編者は平井充良氏)には、「瑠璃も玻璃も光を当てれば同じようにかがやきを放つ。物は使い道一つで同じように役に立つものだということ。瑠璃は七宝のひとつであり、玻璃は水晶やガラスの類で瑠璃よりも質は劣る」とあります。
また「瑠璃も玻璃も照らせばわかる」という言葉も載っており、こちらは「似ているものでも見分けはつく」とあります。この場合も瑠璃と玻璃とは紛らわしいが、決定的に質が違うということが前提でしょう。穿った見方と思われるかもしれませんが、そのような解釈をする人間は実際に存在します。ご姉妹を瑠璃と玻璃になぞらえることについては無理にこだわらなくてもよろしいかと思うのですがいかがでしょう。
・旧約聖書に出てくる「ハンナ」という女性の
偉かったことというのは、子どもを私物化しなかったという点
といわれていますがはなちゃんのご両親は、子どもを私物化していませんか?
社会の既存ルールを無視し、自分たちの我儘を無理に通そうとして
その結果、はなちゃんを不幸な立場にしているのはご両親ではありませんか?
行政を恨むのは筋違いだと思います。
「この漢字が使えない!?じゃあ使えるようにしろ!」
「この漢字は使えない?じゃあこちらの漢字にしよう」
世間一般の人は、後者だと思いますよ。
・1.「名前に使っていい文字と思うか?」
回答:結論から言いますと、全く問題はありません。素晴らしい名じゃないですか。旧約聖書に出て来る登場人物・ハンナを参照にして命名したとの事ですが、ご両親のネーミング・センスは抜群に良いですね。11月4日付の中日新聞(朝刊版)で読んで初めて知ったのですが、僕はむしろ、「果たして最高裁までいくような案件なのか?」とさえ思ってしまいました。
2.「常用平易な漢字と思うか?」
回答:平成21年10月27日付にて名古屋高等裁判所が「常用平易な漢字とは認められず、戸籍上使えないのはやむを得ない」としましたが、じゃあ逆に「常用平易な漢字って何ですか?」と聞きたいですね。世の中には難しい読み方もしくは書き方をする苗字・名前の方もたくさんいらっしゃいますよね?人名に難解な文字を使ってはいけないのでしょうか?明らかに人格権の侵害です。最高裁判事の方々には由緒正しく、かつ公正な判決を出してくださいますよう、切にお願い申しあげます
・特に複雑な漢字でも無く、書きやすい字であると思いますので、
問題無いと思います。「玻南ちゃん」 キレイな名前だと思います。最高裁、応援しています。
・名前に使っていい漢字かどうか、これについては不可。嫌なイメージしか浮かばない。
つくりが皮だからか破を想像する。正直子供が可哀想。
常用平易な漢字かどうか、こんな字を普段見ることがない。今の頭の悪そうな読み方をする名前に見える。
常用平易と言ってる時点で字のごとく常日頃使うことがあるかという意味に見えるのが、こんな字見ません。
断固として反対。一人のためにそこまでする必要ない。

 今度は、「玻南」をどう感じるか、という観点でピックアップしてみました。おおむね、好意的な方が多かったように思いますが、中にはよくない印象を持たれる方もいらっしゃいました。
 つまり、漢字の字義も、名前の印象も、人それぞれの考えがあって、一致することはないことだけは確かです。捕らえ方は、各々の経験と教養と環境と、その他諸々によって形作られていくものなので、一致しないのは当然ですね。
 この感じ方の多様性が、日本のいいところだし、思想的に偏った人たちで構成されているわけではないということだし、だから集団としてバランスが取れるんだと思うし。

 とするなら、やっぱり、名前の字義や印象について、よっぽどのことがない限り第三者が立ち入る問題ではないのだと思います。かつて字義のためにずいぶん大きな騒ぎになったお名前もありました(実際、当事者になっている当時のお子さんがいて、その子のお名前も公開されている現状を考えると、うちの娘の裁判のときよく引き合いに出されていたのを見て、その方の選択の善し悪しはともかく、名づけようとしたご両親も名づけられたご本人もずいぶん傷付かれたことだろうと、とても胸が痛みました。確かに当時子供だった私でも覚えているぐらいの大事件でしたが、今どこかで生活している当事者の方々のお気持ちを考えると、本当にお辛いことだろうと思います。こんなとき、報道の責務と倫理って、どこでバランスを取るべきなのかなあって考えます。答えは分かりませんが。)が、時には国がNOを出す必要がある場合もあるかもしれません。でも、基本的には、両親のお気持ちを最大限尊重すべきだと思っています。

 従って、法律が関与・制限すべき範囲は、やはり現行の戸籍法の趣旨の範囲でいいのではないでしょうか?

 しかし、この趣旨を体現するに当たって準備された施行規則と別表2。これは、実に非合理的でしょうね。そして、現実の流れに全く追いついていない。早急に見直して欲しいです。

「どんな風に?」

 漢字の制限に関しては、現時点で戸籍に使用されている文字(氏・名問わず)は、「可」としていいのではないでしょうか? そもそも、この法律のできた頃は手書きの時代で誤字略字がしばしば見られたそうですから、当時としてはこの法律は合理的だったんでしょうね。

 その後何回か改定されていますが、だいぶ新しいところにきて、私が高校・大学生の頃。パソコンはほとんどなくワープロがとても最先端で輝いて見え持っていない人の方が多く、少ししてパソコンが出てくると「一太郎」辺りがとってもかっこよく見え…という感じで(私だけでしょうか?)、とにかく、まだまだ高価で今ほど普及していませんでした。携帯電話なんて見たことも聞いたこともなく。ポケベルさえも持っている子はまれでした。 つまり、文字の変換技術が今とは段違いに未熟な時代でした。そんな頃には、やっぱり今よりも制限が厳しいのも、理にかなっていたかもしれません。この時代は、戸籍や住民票の交付は手書きと、時々ワープロ?が混ざっていて、手書きから電算システムへの過渡期だったんでしょうね。

 そして今。詳しくは、京都大学の安岡先生のブログを見てくださいね。この方、とってもお詳しくて、人名漢字についても、私たちが知る中でもっとも合理的で納得のできる考えの方です。
 安岡先生がブログで述べているように、そして、大阪高等裁判所が「穹」や「祷」判決で述べたように、「戸籍統一文字」に載っているなら、そして氏には使えているなら、名に使用するのを制限する合理的な理由はどこにもないと思います。そう思いませんか? 氏と名に使える漢字の範囲の違いがあること自体不思議でしょう?、氏に使えるものが名だと駄目で著しい不便・支障になるんでしょうかね?
 役所のPCに搭載されている「戸籍統一文字」の使用を制限しなければならない理由が分からない。いまどきのPCのメモリーの容量を考えると、「玻」なんか高々JIS第2水準レベルでしょ? 教養の範囲だと思いますけどね(ちょっと怒れてきました) 別表2の中には第3・4水準の文字も含まれているのに。おかしいと思いませんか???

 話しはずれましたが、戸籍法施行規則が制限すべきは、最大限で「戸籍統一文字以外は不可」までが合理的でしょうね。よっぽど「著しい不便・支障」にこだわるなら、「戸籍統一文字でかつJIS第2水準のみ」ぐらいが戸籍法の限界でしょう。

 何で見直さないのかなあ? そして、何でこの変な法律が放置されているの? 

 それが「無知が自由を奪う」ってことなんでしょうね。もう少し加筆すると「無知と無関心が、♪かわした覚えのない約束が今日も僕らの自由を奪う♪」ってところでしょうか?

 これ、私は実に法務省に訴えたい。
「戸籍法施行規則の所、変だよ。見直して。氏と名に使用可能文字の制限の差を設けるのは、戸籍法の趣旨を著しく逸脱するもので、戸籍統一文字であれば氏・名ともに使用に差し支えないんだから、早急に見直してよね」
と訴えたい。そう思いませんか? ねえ、そう思いませんか???

 皆さん、どう思いますか?ぜひご意見ください。よろしくお願いします。    矢藤妻

2010年5月10日月曜日

初戦 vs名古屋家庭裁判所の巻 ①

 このゴールデンウイークは、本当に家族そろってウイーク(弱い)でした。
 まず、誰が初発患者かわからないのですが、ゴールでウイークが始まる前から、私がひどい咳と痰に悩まされ、次に長女が声が出なくなり、やがて長男へ。
 それでも、日常生活に支障が出ることはなく、そのままゴールデンウイークに入りました。
 主人が駒が岳に行こうと言い出し、私も自分の仕事がひと段落ついたので賛成し、部活に忙しい上二人を放っておいてした参院を連れて出かけました。
 野生のカモシカやサルを見ながらロープーウエーのふもとに着き。頂上に上ると、予定していたハイキングコースは雪の下に。
 初めての雪に大はしゃぎな玻南をカメラに収めて、みんなでソフトクリームを食べましたが、お約束通り、三男はコーンを残して全て床に食べさせてあげました(怒)。三男のやさしさに感動した母は、半分分けてあげましたよ。もちろんゲンコツ飴もトッピングしてあります(笑)。
 その後はふもとのハイキングコースを回り、「さあ、名物でも食べて帰ろうかア~」と話していると、突然「さっきコケたから頭がくらくらする~」と泣き出す三男。発熱です。

 仕方がないので、名物もあきらめてソッコー帰宅しました。そして2日後。入れ替わりで玻南が発熱。結局ゴールデンウイークは、絶えず誰かが寝込んでいるお休みになりました。
 まあ、その分家でゆったりできてよかったんだけど。
 

 そして本題。
 記憶が正しければ、玻南の出生届を持ち帰った翌日は土日で、市役所はお休み。で、よく月曜日の朝、たぶん8日だったような・・・?(すると、前回ブログに書いた、12月7日の出生届は、日付が違うかも?? まあ、出生届の提出期日最終日であることは間違いありません)

 とにかく、改めて主人が出生届を出しに行きました。もちろん「不受理」は覚悟の上です。
この日は、簡単でした。
 
 主人が出世届けを出す。市役所の人がこれでは受理できないという。それで、不受理のはんこを押されて、その書類を持ち帰る。

 そんれだけです。

 そうそう、まだよくわかっていなかった私たちは、。市役所の人に、どこにどんな手続きをしに行ったらいいのかをもう一度聞きました。

 市役所に人は、親切にもう一度、家庭裁判所に、市町村長の出生届不受理処分に対する不服申し立てをする、と教えてくれました。

 アンケートの自由な意見の中には「市役所の人は法律を守っているだけで悪くない。あなたたちがわがままだ。」という意見がいくつも見られました。私たちもそう思います。
 市役所の人たちは、法律どおり職務を遂行しているだけに過ぎないと思います。それを超えて許可を出したりしたら、それこそ問題です。
 私たちは、誰かを非難していたわけでも、市長に不服があるわけでもありません。だって、彼らは法律どおり職務を遂行しているだけなんだから。
 それなのに、この申し立ての名前は「市町村長の処分に対する不服申し立て」。
 これ、すっごく変だよ~。市町村長に不服を言うこと自体、筋違いジャン。法律守って「不服申し立て」されるなんて、もし自分が市長だったら「そんならどうしろっていうんだよ??」といいたくなりません?
 それとも、市町村長に漢字を追加する裁量権があるのかな? 法律には「家庭裁判所がその裁量権を行使することができる」ってあったような。
 この名称、きわめて不条理な気がします。そもそも、私たちが申し立てたいのは、「この戸籍法の趣旨どおり、常用平易な漢字の『玻』を人名漢字に加えてよ、家庭裁判所さん」ってことで、どこに市町村長が出てくるのさ?むしろ、その申し立ての相手は法務大臣か法務局じゃないの? と思います。

 本題に戻って

 そして、主人は庭裁判所に行って事情を説明しました。裁判所の人は書類をくれましたが、これが主人もはじめてみるものなので、その場ですらすらと書くことができず、いったん持ち帰りました。
 また、書類といっしょに、添付書類や費用の書類ももらいました。

 そこには、戸籍謄本がいるとかいてありました。私たちの戸籍は県外にあります。
 しかし、期日はとても迫っていて、悠長に郵便で取り寄せている暇はありません。主人は仕事ですし、私は三男の幼稚園の送迎の都合もある。
 仕方がないので、鉄道会社に電車のダイヤを聞いて、市役所に戸籍を取れる場所を聞いて、予定を立てました。名古屋駅から片道およそ1時間です。
 生まれたての玻南を抱っこ紐で抱っこして11時半の電車に乗って、目的地に着きます。戸籍を出せる市役所の出張所は駅隣接のビルにありました。
走ってビルを移動し、出張所で戸籍謄本を出してもらいました。時計は帰りの電車が出るまであと5分であると告げています。
 またも走りました。久しぶりに遠出したんだからお土産の一つも買って帰りたいところでしたが、この電車を逃すと三男の幼稚園のお迎えに断然間に合わない。この電車でも、1時25分名古屋駅着だから、1時半のお迎えにはぎりぎり遅刻。買いたい名物を尻目に切符を買い、電車に飛乗りました。電車に間に合いほっとすると、重力が強くなったような気がしました。とにかく、疲れた。が、もう一仕事。何人かの幼稚園ママにメールして、「少しお迎えに遅れるので、先生から三男を受け取って園庭開放で遊ばせてほしい」とお願いをする。そのうち、何人かのママにokをもらったので、これで一安心。

 この後始まる一連の申し立てで、もっとも私たち家族を支えて助けてくれた人たちの何人かは、この幼稚園ママたちでした。お迎えに遅れるときに受け取ってくれたり、家まで送ってきてくれたり、預かってくれたり情報をくれたり。

 三男が年中になるときに家庭の事情で幼稚園を転園しましたが、今思い出しても、ここの園ママとの交流は大切な大切なものでした。彼女たちの暖かい助けがなかったら、このとんでもない騒動も最後まで乗り切ることはできなかったと思います。

 話し戻って、この電車、名古屋駅が終点。ちょっと、うとうとしよう。

 が、疲れているのになかなか眠れず、とうとう名古屋駅まで一睡もできなかった。ハア~。

 必要な提出書類は準備できたものの、一番困ったのは不服申し立ての理由書。

 理由?総合的に考えたら、別表の2になんら遜色なく常用平易だし、ワープロや携帯でも簡単に検出できるし。意味もいい字だし、何で使えないわけ? ぐらいに思っていました。本当、無知でした。

 戦うときには、相手が反論できないほど徹底的に論じなくてはなりませんでした。裁判官なんて、庶民の味方をしてくれる正義の味方でも何でもなかったです。
 けっして大岡越前みたいな立派な人ではなかったですね(怒)
 仕事したくない、事なかれな怠け者?って感じです(怒)。

 さてさて、何を書けばいいのかいまひとつわからず、散々悩んだ挙句裁判所がくれた、理由書の書き方の例に倣って、それよりはもう少し丁寧に書きました。

 (続く)

決意する

心にロマンというフィルターのかかった家族にとって天使のように可愛い玻南が生まれて、幸せいっぱいの我が家でしたが、当然ながら主人も私も半端じゃなく忙しい。

玻南が生まれたときに、結構な量の弛緩出血をしていた私は、どうにもこうにもダルくて、手足が自分のものじゃない様だし、腰も定まらない感じで、ちょっと動いては寝る、を繰り返していました。

玻南は5人目、ということもあって、そんなに慌てなくても期限内に区役所に出生届を出しにいけばいいと思って、忙しさにかまけて、届け出が遅れていました。

玻南が生まれてから2週間になる12月7日、主人が仕事の帰りに出生届を出しに行きました。私の中では、必要な事務手続きを行うだけのことで、こともなく済んでしまうものだと思っていました。

夕方、東区役所が閉まるちょっと前に出生届を出しに行った主人から、私の携帯に電話が来ました。
主人「あのね、なんかよく分からんのだけど、玻南の名前がね、使えん漢字だから、このままでは出生届は受理できんって言われたんだけど。どうしよう?」
私「とりあえず、どうしたらいいか、市役所の人に聞いてみたら?」
 子どものころから、あまりものおじしないせいかくだった私は、どんなことでも、分からないことがあれば、その担当の人にどんどん聞いて解決策を探る性質でしたので、戸籍で分からないことは、戸籍係の人に教えてもらって相談に乗ってもらって、「玻」の字を使える方法を探せばいいと考えていました。

 しばらくすると、また主人から電話が来ました。戸籍法の載っている本のコピーと、別表の2のコピーをもらったらしく、
主人「とにかく、ここにのってないから駄目なんだって。どうしよう?」
私「なんか、方法ないのか、担当の人に聞いたら?」
すると、電話の向こうでなにやらごにょごにょと話している様子。
主人「戸籍法って言うのがあってさあ、なんか、いかんみたい。役所の人も、これでは受理できんの一点張りでさあ。」

 この時、私は内心イラッとしていました。いい年した大の男が、いちいち携帯で「どうしよう?」なんて、おろおろする女々しさに、そんなことぐらい自分で考えろっ(怒)と思っていました。
 主人にしてみたら、独断で決めてしまうのではなく、私の意見も聞こうとしてくれていたんだと、今なら分かるのですが。
言い訳がましいことを言うと、なにせ、このとき私の体調は本当に悪かったので、「そんなことぐらい自分で考えろ(怒)」と思っていました。

しかし、なにせ、ただでさえかいだるいところに、このウジウジした(と私が感じた)主人の歯切れの悪さ。
主人「まあ、ちょっと変わるから、直接話して?」
ついに、私にバトンを渡してしまいました。

結局、私が戸籍係の人と話しても、当然のことながら答えは同じだったのですが
私「じゃあ、この字を使いたいときはどうしたらいいんですか?」
係りの人「そういった場合、家庭裁判所に申し立てをすれば、使用を認めてくれることもあります。どうしますか?」

もちろん、そんなこと私だって即決できませんので、主人に
私「とにかく、今日のところは一旦出生届を引き取って帰ってきたら? ちょっとゆっくり考えようよ」
と言い、その日主人は出生届を持ち帰ってきました。

そして夜。どうするか、家族で相談です。

長女 瑠都の反応
「えぇ~っ(怒)!! 『はな』は、絶対『玻南』だってぇ~。これ以上の字はないよ~」
長男 衿弥の反応
 ・・・しかし、これがまた、私の印象に全く残っていない。我が家は父子そろって、男ははっきりしない性質だからなのか??(笑) 
そもそも、その場に衿弥が居たのかすら覚えてないんだから、私の記憶もずいぶんとお粗末なものです。
そして、主人。
「やっぱり『はな』は『玻南』だよなあ。他にいい字ないよねえ。でも、駄目って言われたし。いっそ、ひらがなにする?」
と、すでに白旗モード。
私は、う~~~~~んと考えて、他の字をあれこれ考えてみたけど、考えれば考えるほど、瑠都の言うとおり、『はな』は『玻南』しかないという考えが強まるばかりでした。

私「やっぱり『はな』はこの字しかないよねえ。」
主人・瑠都「そうだよねえ。」

 ということで、駄目もとで、家庭裁判所に申し立てをしてみることにしました。

 こんな程度なんです。この申し立てのそもそもの私たちの意気込みは。
「ダメモトで、とりあえず、裁判所に言うだけ言ってみようよ。」

この申し立てがどういうものかも、裁判所の裁判官がどんな人種なのかも、そして、これが、国試の試験勉強のときよりも、大学の卒論書いたときよりも、比較にならないハードな、人生で一番必死に勉強する羽目になるなんてことも、全く知りませんでした。
この選択が、私たちをとっても大変な山に登らせることになるものだと、このときは夢にも思っていませんでした。

いやあ、無知ってある意味、本当に何よりも強いですねえ(笑)。
おかげで本当にいい勉強をさせていただきました(笑)

無知って、自由を奪うけど、向こう見ずなほどの勇気も、ユーアもくれますね。


昨日、アイスクリームを食べたくなった私は、長男・次男・三男のチ○チ○マントリオに、アイスを買い行く様に頼みました。

長男 衿弥が、みんなにリクエストを聞いています。みんな、それぞれ自分の食べたいアイスクリームのイメージを伝えます。
すると、三男 愛世が、「みんな、何を買うの‾? ドライアイスでいい?」

全員ピタっと黙り、次の瞬間大爆笑です。そりゃ~、アイスには違いないけどね~。
愛世には、アイスといえば、何でも食べられるものに思えたんだよね。

 とっても可愛い、間違いでした。
 もうひとつ。

 あるとき、お客さんが来ていたときの事。
ハニー(玻南)ちゃんが何をやっても可愛いと思えることが恐ろしいよね~、とはなしていると、いきなり次男の義弥が
「うちの母さんさあ、結構すんごいエロなんだよねえ~」
と言い出しました。反応に困った客人が
「どのへんが?」と聞くと
義弥「だってさあ、すぐ玻南のおしりとか触るし、すぐにチュウするし。玻南いやがってんのにさあ。」
母「だって、ハニーちゃん可愛いんだもん、しょうがないじゃん」
義弥「それがエロいんだって。」
客人「・・・・いやあ、それはエロとは違うと思うよ。」
やっとのことでそれだけを言いましたが、笑いを堪えきれずに吹き出してしまいました。

子どもの言葉の使い間違いは可愛いのですが、しょっちゅうドキッとさせられます。
どんな些細な間違いでも、1つ1つ、根気よく、丁寧に正しい用法を教えていかないと、こんな調子で大人になったら大変だと思いました。

何はともあれ、無知って事も、時にはいいもんだってことです。

2010年4月28日水曜日

はじめから振り返って

 最近の玻南の成長は、目を見張るものがあります。・・・というか、今までが、兄弟の中でも、あんまりぱっとしたところがなかったというのが正しいのかもしてませんが、そこは「馬鹿親(^o^)」、どんな子も、心に「愛情」ってフィルターがかかると、世界一の賢い、かわいい美人に見えるから、盲目って怖いものです(笑)

 で、どんな成長か、というと、「トイレ」です。
 
 今の玻南のマイブームは「あっあ!!(トイレ)」です。
 つい最近、トイレに入っている私を不思議そうに眺める玻南を、トイレに座らせたら、なんといきなり、力んで、ちゃんとシーするんです!!!

 それを、馬鹿みたいに目じり下げまくって黄色い声でほめまくったら、それがどうも玻南ツボにはまったらしく、それ以来、「あっあ!!」といって、バリバリとオムツカバーをはずし、中身を確認してはいそいそとトイレに行きます。

 最初のうちはうれしかったのですが、一時間に何回も座られて、挙句、チョロンっとしか出ないのを、ほめろと要求されて・・・ちょっとうんざりしていますが、でも、自慢げな玻南姫の顔を見ると、ついうっかり黄色い声でほめてしまう私は、学習しない親っていうんでしょうね・・・(泣)


 すみません。で、本題の、「はじめから振り返って」に戻ります。


 そもそも、「なんでこのご時世に5人も生むのか?」という話ですが、それは、長女瑠都の誕生から始まります。
 長女は、私としては非常に難産で苦しい思いをしてこの世に迎えたのですが、
「おめでとうございます、女の赤ちゃんですよ」といわれ、
「女の子☆?」と、期待に満ちて見ると、「???あれ?? 女の子?だよね」

 それはそれはパパにそっくりで毛深く赤黒くなった顔でした。このときに
「今度は、私に似た女の子が欲しい」と思ったのです。

 理想としては、女の子が二人の後に男の子が二人、ぐらいだったのですが、その後もパパそっくりの男の子が生まれ続け、男3人となりました。このあたりから、「もう一人女の子」というハイリスクなチャレンジをするかどうか迷いましたが、次男が年長になることには、「男4人も楽しいだろう。女の子なら、なおヨシ!!」くらいの心で真剣に考えはじめました。

 つまり、「何でこのご時世に5人も生むのか」の答えは「女の子がもう一人欲しかったから」です。それに加えていうなら、子育てって、2人まではホントに辛いことばっかりだけど、3人目からは、何にも見えなくなるらしく、もしかすると脳内がエンドルフィンでいっぱいになるのか、「可愛い」「オモシロイ」ばっかりになります。4人目になると、寝顔を見るだけで切なくなって涙が出るほどにムネキュンになるほどに、愛しくなって、「子供って、こんなに切なくって、可愛くって、酸欠になりそうなぐらいため息が出るものだっけ?」と思うほど、幸せになって、5人目になると「ハニ~ちゃん」と人前で娘にセクハラしてしまうほど、何もかもが可愛くなってしまいます。
 じゃあ、6人目はありかって?  (笑)とりあえず、ノーコメントです。体力と財力に限りがなければ欲しいですが、腰痛もちの私には難しい?かも。けっして、真璃ちゃん(すでに女の子決定?)が来たいというなら、歓迎しますが、出迎えに行く体力はなさそうです。

 で、本筋。

 次男が卒園するころ、めでたく妊娠しました。性別はわかりませんでしたが、まりちゃんと名づけました。漢字は未定です。しかし、残念ながら、そのまま天国に行ってしまいました。もし、あの世で会って、男の子だったら、「いさや」に変えないとね。

 一時期激しく落ち込みましたが、またも「もう一人女の子」にチャレンジしました。
 めでたく、妊娠したときには、名前を「はなちゃん」と決めましたが、病院で妊娠がわかった時点で「心拍が確認できないので、難しい。入院の予約をして、出したほうがいい」といわれ、それでも、一週間待ってもらって、心拍をもう一度確認して欲しいとお願いしました。
 が、気の早い子だったようで、1週間を待たずして、天国へ帰ってしまいました。というか、もしかすると、入れ物だけで魂はなかったかもしれませんね。

 この時点では、「もう、この年では妊娠は無理なのかも」と、あきらめムードになっていました。もちろん、この年で妊娠・出産をされる方もたくさんいらっしゃいます。
 しかし、私の場合は「連作障害」で畑は痩せているでしょうし、「私には、もう無理かも」と思っていました。

 でも、「欲しい」と思いつめなかったのがよかったのか、また妊娠しました。
 このときは、名前をどうするか迷ったのですが、夢でおむつ交換をして、「ついていない」と思ったこともあって(性別は一番の関心ごとだったので、夢にまで出てきたんでしょうね(笑))、「女の子」と勝手に断定しました。

 で、悩んだのが名前。どうするか?
 「まり」「はな」はすでにつけてあるし。ほかに日本人の女の子向けな名前は聖書で見つけられなかったし。「さら」もあるけど、漢字は今ひとつだったし。
 で、相談して、天国の子達は、性別を確認した後に、男の子の名前にする可能性もあるし、今のところ平仮名で命名してあるので、漢字は天国に行ってから考えればいいから、漢字違いで同じ名前もいいだろう。と考えました(感覚でいうと、欧米の親子で同じ名前にシニアかジュニアをつけて区別する感じです)。

 で、悩みましたが、漢字辞典で字を調べていたパパが「玻」に気づきました。「瑠都」なら「玻南」だろう、ということで、5人目は「玻南」になりました。

 しかし、手前味噌ながら、これが実によく、娘たち自身をあらわしているんです。
「瑠都」の瑠は、もう皆さんご存知のとおり、仏典に出てくる七宝の一つ「瑠璃」から、貴重な宝物(私たち夫婦にとってね)を意味し、都は、人が集まるにぎやかな所、という意味があります。
 私たちの宝である長女の元に、次々に弟妹が集まり、それはそれは、にぎやかになりました。
 
 で、「玻南」ですが、これも玻は仏典に出てくる七宝の一つ「玻璃」から、「南」は、暖かく、周りを囲まれた所、という意味を持つことから、私たち家族みんなが待ち望んだこの家に生まれてきた宝物を意味します。妊娠中も、それはそれは、長女や息子たちが、とりわけ三男が楽しみに楽しみにおなかをなぜては話しかけていました。

 話は逸れますが、三男は、今でも一番玻南のことを可愛がり、物を取り上げられても、たたかれてもつねられても「あ~ん、玻南ちゃん、やめてよ~」というばかりで、手を出すことはありません。(もちろん、お兄ちゃんたちとはしょっちゅう戦っていますので、けっしてヨワシ君というわけではないと思います。)

 それどころか、折に触れては、「玻南ちゃん、かわいい~」をにっこり眺めています。
 そんな三男愛世(まなせ)の姿を見て、「オマエこそが、『可愛い』だろう」と夫婦で突っ込みを入れつつも、幸せかみ締める毎日です。

 これからも、こんな毎日が続いてくれたらいいのに。
 今年長女が高2になってしまいましたが、成績もいまひとつパッとせず、名古屋の大学進学は難しいだろうなあ~と思うにつれ、子供たちを手放すときが来るさびしい予感に、涙が出そうになる今日この頃です。

 話は戻り、そんなことで、姉が「瑠都」なら妹は「玻南」、二人とも、ぴったりな名前なんです。
と、またも馬鹿親満開で申し訳ありません。

 これがそもそもの始まりでした。

 お腹の中にいたときも、生まれたときにも、まさか、こんな騒動になるなんて、夢にも思っていませんでした。

人生、一寸先は闇って言うのは本当ですねえ(笑)

2010年4月21日水曜日

専門家の意見見つけました。

今回の件について、大学の先生が詳しく述べているサイト?ブログ?を見つけました。http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp/2010/01/28/hana1/ 「玻」は常用平易か
京大の安岡先生という方が書いています。素人のたわごとなど信用できないという人は、ぜひそちらを参考にしてください。
他にもこの先生は「人名用漢字以外を子供の名づけに使うには」 という記事もアップされており、その他にも人名用漢字についていろいろ発信されています。もっと早くにこうした記事にたどり着いていれば、と思うと、ITデバイドという言葉が身にしみます。

2010年4月19日月曜日

無知が自由を奪うという恐怖 妻のほう

「スキャンダル」というバンドが歌っている曲の中に「交わした筈のない約束が、今日も、僕らの未来を奪おうとする」という歌詞がありましたが、私たちも同じように、知らないうちに自分たちの未来を奪われていってしまっているのに、ほとんどの人がそのことに気づいていない。

 これが、今回の「玻」をめぐる申し立てで感じたことでした。

 何でそんな話になるのかって?

 私たちが募集したアンケートは、アンケートの回答そのものよりも、それに付随する(もしくは、回答そっちのけで寄せられる)自由な意見にこそ価値があったと感じています。

 意見は、とても感情豊かなものが多く寄せられました。

以前、このブログでも、自由記載の大まかなジャンル分けを載せたと思いますが、一例を挙げるとこんな感じです。

「おはようございます。はじめまして、中日新聞を読みましてメールさせていただきました。
「玻」についてですが、正直な話、字の意味がわかりませんでした。
名前に使って良い文字かについてですが、私自身の意見としては全然問題ないと思います。
なぜ名古屋市は受理しないのか?見当もつきません。日本国の勝手な法律により名前がつけられないのは
日本国の政治と同様で身勝手でわがままそのものだと思いました。
私も近々子供が生まれるため名前思案中で、子供には良い名前をプレゼントしたい気持ちはよくわかります。
日本国家に負けないでください。諦めて妥協など絶対しないでください。
陰ながら応援してます。頑張って!」といった心温まるものから

「親のエゴ丸出しで子供に戸籍を与えないとかどうかしてます。使っていい文字か調べず、受理されなかったから逆ギレですか?どの親もきちんと調べて、その中から命名してるんですよ!『プレゼントをあげられない』のではなく、あなた達が他人のせいにして与えようとしてないだけじゃないですか。はっきり言って自己中もいいとこです。仮に認められたとしても、関わるとめんどくさい親のレッテル貼られて、子供に被害があるかもしれませんよ。わたしだったらあなた達みたいな人と関わりたくないですもの。
世の中にはルールがあるんです。それに子供はペットじゃないんですから!親の所有物でもないし、一人の人間ですよ!自分達のわがままを通そうとする前に、子の将来を考えてください。同じ親として本当に恥ずかしい。
現在のルール上使えない文字なのだから『使えない』に決まってます。また受理されなくて当たり前。お子さんが無戸籍状態にあるのは、役所が悪いんじゃない。ご両親に責任があると思います。」と言ったものまで、種々様々でした。

 この意見の表面にとらわれて、この意見の方々を批判したりしないでくださいね。賛成も反対も、私たちの事件を、自分のこととして真剣に捉えて下さったからこその、「愛と関心」の表れだと、私たちは今も感謝しているんです。

たとえ、私たちに厳しい意見だったとしても、「愛」です。正確には「愛の裏返し」です。愛の反対は「無関心」であることを思えば、「怒り」や「叱責」が深い愛の裏側であることは容易に理解できるでしょう。世界中が無関心に満ちている時代に寄せられたこれらすべての意見に、私たちがどれだけ深く感謝しているか。だから、どんな意見も批判しないで、その愛と関心に敬意を持ってくださいね。

 話を元に戻すと、いただいたご意見を読んだ感想は、冒頭の様に「『無知は自由を奪』い、無知ゆえに『交わした筈のない約束(法律)』に、『僕らの未来を奪』わせている」ということでした。

 まだ分かりにくいですよね。

●  「自ずと社会にはルールがあり、そのルールの中で適応していくべきだと考えます。今回のことは社会的なルールを無視した極めて勝手でエゴな振る舞いだと思います。抗告など「もってのほか」なことです。
名前の由来がどうであれ、日本人であれば日本の今のルールで使用出来る範囲で選ぶべきです。ルールが社会や環境に適応していないと考えるのであれば改正、改訂、変更すべく働きかけるべきでしょう。法律が今の社会に合ってないからと言って、勝手な解釈の基でその法を犯すような事が許されますか?あなたの主張はそのような事だと思います。
いつまでもお子さんの戸籍が無い状態で、親のエゴの犠牲になって
いるお子さんが気の毒です。」という意見に代表されるような良識ある意見も多数お寄せいただきました。

 いずれの意見も、戸籍法をご存じないようでした。

 重複になりますが、そもそも戸籍法に定める常用平易の雛形になるのは「常用漢字」と「別表2の漢字」です。
「曽」の最高裁判決ではこれらを「限定列挙(常用平易のサンプル)」であって、これが常用平易の全ての漢字を網羅しているわけではないので、ここにない常用平易な漢字があるなら、戸籍に使えるように家庭裁判所は裁量権をもって認めることができるとしています。

したがって、私たちは「家庭裁判所が判断を誤っているから、訂正して欲しい」と訴えていたのであって、法律に背いているわけではないのです。

なぜ家庭裁判所の判決が間違っているかという理由は、最高裁判所に提出した許可抗告に記載したとおりです。常識的に考えれば、名古屋家庭裁判所も名古屋高等裁判所も、その判断が過去の判例(しかも、上告審を扱う高等裁判所の判例です)との間に整合性が取れてないのは、法治国家としておかしいでしょ?

おそらくは、「法律を守るべき」という意見をお寄せくださった方々は、このことをご存じなかったのだろうと思います。

知らないということは、自分たちが申し立てをする正当な権利があるにもかかわらず、気づくことができない。だから、その権利を行使する自由が無知に奪い取られてしまうのです。

けっして、「法律を守るべき」という意見をお寄せくださった人を批判していると思わないでください。私たちだって、こんなことになるまで、戸籍法や過去の最高裁判決を知らなかったんですから。

恐ろしいのは「知らないということに気づいていない」ということです。

●  次に「正直言って、バカじゃない?の一言。法律で決まっている以上、戸籍に使えないものは使えない。漢字を変更すればいいだけの事。ただの親のエゴ。」という意見も多数いただきました。これは、本当なんでしょうか?

そもそも、「法律(特に戸籍法)は確立されたもの」なんでしょうか?

 「確立された」という感覚を自分なりに言うなら、「1人の癌患者の症状を、三人の医者が診察をして、その見立てに大きな差異が出ない」ということが、確立されたものであると思います。

 が、しかし、法律の世界は違う。担当する裁判所や裁判官、弁護士によって判断が分かれることは、私たちの許可抗告の理由書にある「穹」と「玻」の比較で差が全くないにもかかわらず、裁判所によって判断が真逆に分かれたことから明らかでしょう? この話は、また後でするとして、法律、特に今回は「戸籍法」は、確立されたものなんでしょうか?

 そもそも戸籍法自体は、旧戸籍法の時代「略字や符号を用いてはならず、字画明瞭なることを要すると定めてあり(同法28条1項、55条)、子の名に使用する文字についての法律上の制限はなかった(大阪高等裁判所「穹」判決 3.記録 参照)」のです。

 しかし、子の名に用いられる漢字にめちゃくちゃ難しいものが多くて、本人や周囲がものすごく不便や支障を生じさせていたので、昭和23年1月1日に、旧法を全面改正の上施行された戸籍法50条1項で「子の名には常用平易な文字を用いなければならない。」、規則60条(当時)で人名に用いられるべき漢字は当用漢字に限るとされました(大阪高等裁判所「穹」判決 3.記録 参照 以下同じ)

ところが、従来からの伝統や特殊な事情に配慮しないまま当用漢字のみに制限したので国民から大きな批判と人名用漢字の範囲の拡大の要望が出ました。 

で、

1951年5月25日、92字を人名用漢字として新たに指定

1976年7月30日、28字を追加し、120字となる

1981年10月1日、常用漢字に採り入れられた8字を削除し、54字を追加して166字となる

1990年4月1日、118字を追加し284字となる

1997年12月3日、1字(「琉」)を追加し、285字となる  

2004年2月23日、1字(「曽」)を追加し、286字となる

同6月7日、1字(「獅」)を追加し、287字となる

同7月12日、3字(「毘」「瀧」「駕」)を追加し、290字となる

同9月27日、許容字体からの205字と追加された488字を加え、全部で983字となる

2009年4月30日、「祷」「穹」の2字を追加し、985字となる

と、まあ、どんどん変化しているんです。

 そもそも、こんなことでもなければ、私は人名用漢字に興味を持つことも、調べることもなかったでしょうね。

 そして、私は「交わしたはずのない約束」ならぬ、同意した覚えも、ましてやその法律に関する漢字の選定に意見募集があったこともさえも知らないまま、きめられていったものに、今回縛られて私たちの娘の未来(はちょっとおおげさですねえ^-^;。まあ、この場合は命名の自由ですね)が奪われちゃったんですね。

 そもそも、漢字委員会の、意見募集って、どんな風に行われているか、皆さんご存知ですか?

 去年11月の新聞に、「もうすぐ、漢字委員会の第二次意見募集がある」って書いてあったのに気づいたのも、玻南の裁判のことがあったからで、そうでなければ、私は気付きもしなかったでしょうね(これは人名用漢字ではなく常用漢字の意見募集でしたが)。

 ちなみに、意見募集は「もうすぐある」とは新聞に載っていましたが、その後、いくら新聞を見ても、いつ始まるのか、どうやって応募したらいいのかは見つけられませんでした。

 で、仕方ないので、文部科学省まで電話で問い合わせました。そうしたら、「まだ決定していない。そのうちホームページに出るから、そこで確認してください」と言う返事でした。

 なんなんだよ、それ~!? まじめに意見募集する気あるの??

 そんなの、テレビや新聞じゃあるまいし、「HPで募集」なんてやり方で国民みんなの目に触れるわけないでしょ?? 大体、うちみたいなITデバイド家族は、始めっから参加できないじゃん(怒)

 と怒りつつも、ホームページをみると、そこで案内された応募方法は3つ。

メールと、ファックスと郵便。

IT原人家族にも配慮されている? そんなわけない。そもそも、ITに遅れている人には、その応募方法にすら辿り着けないんだから。

 この公知方法と募集方法のバランスの悪さは何?

 と、文部科学省の募集公示方法に憤懣やるかたなかった私でした。

 ホームページでの募集案内って、そもそも関心のない人や、募集される可能性に気づかない人はホームページを開けたりしないし、更には、関心を持ってホームページを開けたものの、その応募方法まで辿り着くのがどんなに難しかったか(ま、これは、我が家のIT技術にも問題がありますが)。

 つまりね、法務局も文部科学省も、国民の声を真剣に求めてなんかいないってことじゃないかな?と思う。

 真剣に国民に周知して意見を求めるなら、それこそ、委員会がパンクしかねないし。

 そんな中で決定されていく約束事(今回は常用漢字だけどね)は、まさに「交わしたはずのない約束」であり、私たちを縛ろうとする国は、まじめに対等に約束を交わす意思なんてはなっからないってことじゃないかな。

 それと、人名用漢字(とりわけ別表2)も絶対じゃなく、見直されているしね。

 こうやって歴史を見てみると、人名用漢字にまつわる法律自体、ずいぶんと適当です。

恐ろしいことに、人名用漢字(常用漢字)を決めた根拠は、単純に頻度数調査で、つまりは、どんだけ頻回に使われているかっていう読売新聞の調査を元に、使用回数で多い順に決めていました。だから「糞」とか「悪」とか「呪」みたいな、人名に使われたらギョッとするような漢字も入ってて、問題になったんですよね。

 ちょっと前に、常用漢字の追加分に「玻」がなかったことについて、新聞記者から意見を求められました。
今回の漢字審議会の委員の1人が『これ(玻)は、常用漢字ではなく、人名用漢字で認めてもらえばいいんじゃないですかね』と述べられていたとおり(文化庁ホームページ漢字審議会議事録参照)、そもそも、常用漢字と人名用漢字は、同じカテゴリーで選別するものではないです。
「選別の基準が違うでしょうから」ぐらいのコメントをしたんだったと思います。

 つまり、常用漢字をそのまま人名用に当てはめるのは、不自然で、別表2を足したとしても、不完全なのは、先に述べた通りだし、また、常用漢字では、とんでもないものも入っていて、それこそ、施行規則60条の定めは「帯に短したすきに長し」っていうのがぴったりかも、と思っています。

 なので、常用漢字に「玻」があれば、それは一挙に問題解決ですが、なかったとしても、それが「玻」が人名用としてふさわしくないことの理由にはならないということです。

話はずいぶん逸れましたが、つまり、法津(少なくとも戸籍法)は絶対の真理でもなんでもなく、当面の約束事で、これからも、私たちが見直していかなければならないものだということです。

 でも、この法律の歴史について無知なままでいるなら、この法律を見直す未来の自由を失うことになります。

●  家庭裁判所の嘘?無知? と 東区役所の意地?意地悪?

家庭裁判所の審判書の中に、「戸籍事務に混乱を起こす」という指摘がありましたが、果たしてそうなんでしょうか?

実は、嘘です。だって、「玻」は、戸籍統一文字に入っているんですから。法務省のホームページで調べてみてください。ちゃんと、戸籍統一文字番号もあります。

戸籍統一文字が何かって?

平成6年法律大67号による戸籍法の改正により、戸籍事務を電子処理組織によって取り扱うことができるようになったところ、JIS第1水準及び第2水準に規定されている約6400文字以外の漢字について、届出などの情報をオンラインにより市区町村間で送受信する場合のいわゆる文字化け現象を防止するため、戸籍に使用することのできる文字のすべてをコンピューター画面に表示し、かつ、オンライン通信において正しく送受信できる仕組みを整備したものが、戸籍統一文字である。漢字に関しては、約5万字の正字のほか、俗事なども含めて合計約5万6000字が登録されており、本件文字も登録されている。

(玻は戸籍統一文字番号234410)

ということです。

つまり、「玻」によって戸籍事務に混乱なんておきないんですよ。実は。
「祷」「穹」を認めた大阪高裁の判決文の中でも、過去において混乱はおきていないし、これらの字を認めても混乱はおきないと断定されています。
ちゃんと、市役所のPCに入っているんですから。しかも、ちゃんと戸籍統一文字番号まであります。
 そりゃ、そうですよね。だって、今実際に苗字として戸籍に使われているし、地名にも使われていますから。
多分、家庭裁判所の裁判官は、「玻」が戸籍統一文字だってことをご存じなかったってことなんでしょうね。

そして、名古屋東区役所の、児童福祉課の職員の方も、きっとご存じなかったんでしょうね(笑)。

仕事の都合で春から保育園に入園したいと申込をしたのですが、その決定通知書に「矢藤玻南」と記載するのに、「玻」の字だけ、「波」を打ち出して、修正テープでさんずいへんを消し、おうへんに手書きで直す、という、とても手の込んだ記載方法を選択していました。

まさか、東区役所の職員が、区役所のPCに「玻」の字が戸籍統一文字として載っていることをご存じなかったとは思えませんが(笑)。もしもそうだとしたら、随分な不見識ですね(笑)。

そんな、枝葉末節をあげつらってどうするの?といわれそうですが、私はこの件から「裁判官も、結構知らないことがあるんだ」ってことを学びました。考えてみれば当然ですよね。医者にも専門があるように、弁護士にも得意不得意ジャンルがあるように、裁判官だって、全ての家裁月報を読んで覚えているわけではないでしょうから。

もし、読んで覚えていながらこの結果を出したとしてたら、名古屋高等裁判所の裁判官は相当恣意的な「最初に棄却ありき」の法解釈をしたのかもしれません。

だから、裁判官の判断に間違いはないってことはない、と言うことです。何事も、本当かどうか、事実を集めて検証することは大事ってことですね。なんでも、権威のある人(ない人でも)の言葉を鵜呑みにすることは、自分の脳みそを明け渡すようなもので、すごく恐ろしいことです。

ですから、これを読まれた方は、ぜひ、私の書いていることが本当か、私の思い込みや間違いがないかを確認なさった上で、ご自分の考えを構築されることをお勧めします。

もしかすると、私は希代のうそつきかもしれませんよ(笑)。

● 「これ(「穹」を認めた大阪高裁判決)を、高等裁判所に理由書を出すときに見つけることができていれば可能性があったんだけどなあ・・・」

これは、ある専門の方とお話したときの、その方の感想です。

その方がそのように言ったのは、日本の裁判が三審制とはいえ、一審二審で負けたものが、三審(最高裁)でひっくり返ることはまずない、という現実があるからです。

私たちは、その言葉の真偽のほどはわかりませんでしたが、今は「ああ、こういうことか」と実感しています。

なにせ、最高裁判所の審判理由はきわめてシンプル。「高等裁判所が正しい」。私たちが書いた抗告理由についてのコメントはまったくなし。なぜ、私たちの理由が採用されなかったのかも説明はなし。「ちょっとは仕事しろよ(怒)」と思いますが、ある別の法律の専門家のコメント。

「考えてみればわかるでしょ。彼ら(裁判官)は、役人で、誰だって仕事したくない。なじめから、認めたくない。そこを。どうやって、『認めてやらないと仕方ないな』と思わせるかが、大事」

ずいぶんと話は逸れましたが、つまりは、高等裁判所に抗告するときでさえも、私たちは古い判例ばかりを読んでいて、最近の裁判所の動きについて無知でした。

家庭裁判所に申し立てるときには、私たちは、戸籍法についても、不服申し立てについても、全くと言っていいほどの無知でした。だから、玻南の名前を「玻南」と戸籍に載せる自由(この場合は権利かな)を失いました。

高等裁判所に申し立てるとき、もしも私たちが「穹」判決を知っていたなら勝ち目があったにもかかわらず、無知でいたために、またもや「玻南」と戸籍に載せる自由(この場合は権利かな)を失いました。

日本は三審制だから、と考え、一審二審と負けたものがひっくり返ることはほとんどないことを知らなかったために、私たちは絶えず後手後手に回って、ついに、「玻南」として出生届をする権利を失いました。

全ては、私たちが無知であったがために失ったものでした。
私たちの無知が、私たちの自由(命名の自由)を奪ってしまいました。
これほど、自分たちの無知を悔いたことはありません。大学入試の後よりも、後悔しました。

以下、PTAの嵐を避けつつ、更新予定。遭難してるかもしれませんが。

2010年4月14日水曜日

無知ゆえに失ってしまったもの(夫のほう)

 許可抗告の申立書を作成していた時に、ずっとひとつの不安がありました。金銭の問題ではありません。最高裁に申し立てても4200円しかかかりませんでしたから(高裁2000円、家裁800円だったと思う。弁護士には相談しかしていなし、無料相談も何回か使って、自分達で文章を仕上げたので弁護士への依頼費はかかっていない)。
 私達のこの裁判がやぶへびとなって、裁判所へ申し立てすることによって人名用漢字を増やすことができるという「国民の権利」が失われるのではないかということです。
 許可抗告ができる理由は、大阪高裁と名古屋高裁で、同様のケースにもかかわらず判断が分かれていることがおかしいということです。そして両高裁が根拠としているのは、H15の「曽」の字の使用を認めた最高裁判決です(ちなみに漢字使用で最高裁まできたのはこれが初めて、「玻」は2件目だそうです。)。この最高裁判決において、「明らかに常用平易な文字であれば名前に使用することができる」という基準が示されました。この判決を受けて「毘」「瀧」「獅」「駕」が立て続けに認められたわけですが、「明らかに」という証明は実に難しく、「明らかに」ならないものでした。ここに判断が分かれた理由があります。(以下申立書からの引用を含みます)
 私達と、「穹」を認めた大阪高裁は、なぜ戸籍法50条1項「子の名には常用平易な文字を用いなければならない」が存在するのか、その立法趣旨に立ち返りました。すると、「戸籍法50条1項が子の名には常用平易な文字を用いなければならないこととしたのは、子の名に日常使われない文字や難解な文字が用いられるときは、これによって命名された本人のみならず、他者にも社会生活上の不便や支障が生ずるおそれがあるため、これを防止する趣旨である。」(最高裁判所判例解説民事篇平成15年度(下)857頁)とありました。そうであるなら、当該文字を使うことで、命名された本人や関係者に、社会生活上、多大な不便や支障を生じていなければ、戸籍法50条1項の立法趣旨を満たすので、明らかに常用平易であるといえるのではと考えました。大阪高裁判決は、本件文字を子の名前として使用した場合、戸籍法50条立法趣旨に照らして、社会生活において、命名された本人や関係者に不便や支障が生じるか否かの観点で、常用平易性を解釈、検討しています。
 一方、名古屋高裁は、戸籍法50条立法趣旨は関係なく、常用平易性を、常用性のみに重点を置いて解釈、検討しています。(だからこそ、平易性に関連した基準をいくら満たしたとしても、「それだけでは~認められない。」と判断されます。)そして常用性=社会においてあまねく広く多用されていることと解釈しています。それは判決文中の否定理由として、「多用されているとはいえず」「多いとまで認めることができず」「広く多用されているとまでは認めがたい」「広く国民に知られている~事実は認められない」と4箇所も記載されていることから明らかです。
 このように、どの判断基準に重きを置くかが違うため、名古屋高裁判決では、大阪高裁判決の判断基準そのものである、現実に不便は生じず、困らないで使えてますよという話は、そもそも判断基準にならないとして除外しています。しかし、不便が生じないことと、常用性とどちらが優先されるべきかは、社会をよくするために法が存在することを考えれば、戸籍法50条1項の立法趣旨である、「命名された本人や関係者に、社会生活上、多大な不便や支障が生じないこと」が優先されてしかるべきと考え、以上から、私達は、名古屋高裁が、戸籍法50条1項の解釈を誤っていると考え、許可抗告したわけです。

 そして今回最高裁判決が出て、私達が負けたということは、名古屋高裁の判断基準を最高裁が支持したことになります。つまり、上記した大阪高裁の判断基準が使えなくなるということになります。
 玻南が、「大阪で生まれた女」だったら名前が認められたのに、と今までは思っていたのですが、この判決で大阪高裁も、名古屋高裁(=最高裁)の判断基準に従わざるを得なくなるので大阪でも無理になるでしょう。するとどうなるかは、申し立て書に書いたことが現実になると思います。(以下引用)

 名古屋高裁判決の、常用性のみに重きを置く解釈では、民事月報9月号38頁で述べられている通り、漢字出現頻度数調査で、ある程度の数を満たさなかった(広く多用されておらず、したがって人名用漢字部会で検討する文字に値しない)時点で、明らかに常用されていないことになり、名前に使えなくなります。しかしそれでは「玻」「穹」のように特定の分野にのみ頻出する文字は絶対に認められません。そもそも、漢字出現頻度数調査(2)で、約3300万字の活字のうち、出現頻度3012位までの漢字の出現回数の累積度数だけで、全体の99.56%を占めている現実(民事月報5月号165頁)があるので、常用性のみに重きを置く解釈では、これ以下の字が認められる事は100%不可能です。(「玻」は3992位、「穹」は4194位)
 こうした状況を解決するために、家庭裁判所の裁量権があるのではないでしょうか?もしこの裁判で私たちの主張が認められない(名古屋家裁、名古屋高裁の考え方が認められる)のなら、家庭裁判所は、戸籍法50条1項を、常用性のみに重きを置いて解釈し、判断するようになるので、上述したように、裁量権により字が増えることが不可能になることは明らかです。(現在でも、家庭裁判所では、平成15年最高裁判決をうけて、常用平易であるだけでなく、「明らかに」常用平易であることが字の認否の判断基準になっています。)それは人名漢字選定に国民が関わることを不可能にするに等しく、戸籍法50条制定後、「悠」「琉」「曽」等の字の裁判を契機に、人名漢字を増やしてきた今までの経緯に大きく逆行するものと考えます。また、今回提出した意見書でも述べられている、人名漢字の範囲の拡張や、常用漢字の大幅な増加を進めてきている、日本人の文字観並びに文字政策の変遷とも、大きく逆行するものだと考えます。

 悠仁親王の「悠」の字も、私達国民は裁判所へ申し立てることで、人名用漢字として手にしてきました。上述した理由で、私達国民はこの権利をほぼ失うこととなりました。この事態を招いたのが私達の訴えであるわけです。

 無知は自由を失わせます。私達は無知でしたので、玻南を1年以上も無戸籍の状態でほっておくという愚を犯し、人名用漢字を増やす自由も失ってしまいました。



 実際、この判決が下級審に影響を与えることはない、と言ってくださる専門家もいますが、できればそうであってほしいと思っています。

2010年4月13日火曜日

この場を借りてお詫びを申し上げます。

 アンケートにご協力いただいた方に、今回の結果とお礼の報告をいたしましたが、非常識な時間にメールをすることになってしまい、本当に申し訳ありませんでした。特に携帯でメールをくれた方には、夜中に起こしてしまったりしてしまい、この場を借りてお詫びします。
 木曜の夜から返事を送っていたのですが、下の子供達を寝かせてから、ネットカフェに行って、一件ずつあらためてメールに目を通してから返事を送るという状態だったため、どうしても早い時間に送ることができませんでした。非常識かとも思いましたが、結果が出た以上、なるべく早くそれを伝えるのが誠意だと考え、申し訳ありませんと思いながら、送ってしまいました。
 本来なら直接お詫びをしなければいけないところですが、遅い時間にしかパソコンが触れないため、この場でお詫びをさせていただきます。

  最後に、私達に関心を持っていただいて、アンケートに協力してくれた皆様
  本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。 
  皆様のご多幸を心より御祈念いたしております。     
                              矢藤仁 矢藤清恵

2010年4月12日月曜日

判決直後のいろいろな思い

 今回は夫のほうです。結果は仕事中に妻からのメールで知りました。怒りや、悲しみ、色々な感情が浮かびました。
 なぜ「穹」がよくて「玻」が駄目なのか?と思うのが普通の感覚だと思うけど、裁判官にはそうした普通の感覚はないのかな?だから裁判員制度が必要なんだと、思考が暴走したり、
 ジュネーブの国際司法裁判所に直訴に行こうかなどと妄想したり、
 医療訴訟で、医師に対して「説明責任を果たしていない」と裁判官が述べることがあるけど、この判決のどこに、裁判官は説明責任を果たしているのかと怒りに震えたりしました。
 医師は、病気のプロなので、病気の素人である患者に対して説明責任があるのは当然です。同様に、法律のプロ、しかも司法の頂点にたつ最高裁判所の裁判官には、法律の素人である私たちに対する説明責任が、より強くあってしかるべきと考えるのは、おかしいんでしょうか?
 説明責任を果たさなかった医師は、場合によっては訴えられます。そのリスクを負うのがプロです。しかし裁判官はここまで説明責任を果たしていないにもかかわらず、責任を問われることはありません。相談した弁護士さんが言ってました。「裁判官も結局官僚だから、めんどくさいことはしたくないわけ、だから判決が覆るなんてことは99%おこらない」その道のプロのふりをしながら、説明責任を果たさなくても責任を問われることがない、官僚、という表現がよく理解できました。

 でもやっぱり、最愛の子供である「玻南」の存在自体を否定されたと感じたことが、一番悲しかったです。たかが9画の漢字一文字で、それも戸籍統一文字として戸籍に問題なく使えて、健康保険証、通帳などでも問題なく使えている漢字一文字で、毎日元気に生きている子供の存在を否定する、そう感じて、とても悲しかったです。


 僕のこうした思いを、妻はとってもクールに見ています。そのうち妻の考えものせますが、4月になって5人の子供の新学期が一斉に始まって、PTA行事などがなだれを打って押し寄せてくる時期なので、しばらく時間がかかると思います。妻は毎日真っ白な灰となっています。 

最高裁判所からの返事の写し

1センチほどの厚さがありましたが、その内訳は以上です。
判決文2枚、その後ろに私たちの提出した抗告理由書53枚。理由書の中で酷評した名古屋高裁の判決文ですら7枚ありました。門前払い、という言葉以外に言葉が見つかりません。以下にわずか2枚の判決文を記載します。



平成21年(ク)第1105号
平成21年(許)第42号
   決定
名古屋市東区(以下省略)
  抗告人 矢藤 仁
同所
  抗告人 矢藤 清恵
 名古屋高等裁判所平成21年(ラ)第86号市町村長の処分に対する不服申し立て却下審判に対する抗告について、同裁判所が平成21年10月27日にした決定に対し、抗告人から抗告があった。よって、当裁判所は、次のように決定する。
   主文
  本件抗告を棄却する。
  抗告費用は抗告人らの負担とする。
   理由
 1 平成21年(ク)第1105号事件について
 抗告人らの抗告理由について
 民事事件において特別抗告をすることが許されるのは、民訴法336条1項所定の場合に限られるところ、本件抗告理由は、違憲をいうが、その実質は原決定の単なる法令違反を主張するものであって、同項に規定する事由に該当しない。
 2 平成21年(許)第42号事件について
 (1)抗告人矢藤仁の抗告理由について
 「玻」の字が、社会通念上明らかに常用平易な文字であるとはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は採用することができない。
 (2)抗告人矢藤仁の抗告理由について
 抗告人矢藤清恵の本件申し立ては不適法であり、これを却下すべきものとした原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は、結論に影響しない部分について不服をいうものであり、採用することができない。
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
  平成22年4月7日
   最高裁判所第二小法廷

    裁判長裁判官  古田佑紀
       裁判官  竹内行夫
       裁判官  須藤正彦
       裁判官  千葉勝美


             これは正本である。
             同日同庁
             裁判所書記官 古澤秀行




これが1年5ヶ月に及ぶ騒動に対して、司法が下した答えのすべてです。



 

2010年4月9日金曜日

今日の夕方、出生届、出してきましたよ

「矢藤はな」で出してきました。
とりあえずは、ひと段落です。


日常生活では、これまで通り、「矢藤玻南」の通名使用をします。

もうすでに、貯金通帳も、健康保険証も、学資保険お、乳児医療も、診察券や、検診、母子手帳、ありとあらゆるところに使用していますし。

何よりも名古屋高等裁判所からは「戸籍以外のところで通名を使用するのは自由」とお墨付きもいただいていますし。
それにしても変な話ですよね。

戸籍と違う名前を名乗るのは自由、ってこと自体、何のための戸籍なんだか??
と思いますが、ありがたく、通名使用させていただくことにしました。

あまりの見事さに、言葉も出ません。

昨日の午後、最高裁判所からの結果が届きました。
たしか、午後二時過ぎだったと思います。

封筒は、ずいぶんと分厚く、ずっしりと重いです。

私たちが投げかけた司法の矛盾に対して、最高裁判所の答えが返って来たのか、気になります。

もしも、「それ(大阪高等裁判所の定立している常用平易の枠組み基準を満たしているだけでは不十分」という返事であれば、それはすなわち、大阪高等裁判所の判断が誤りであるということになり、すでに大阪高等裁判所の定立した常用平易の枠組みによって認められている「穹」や「祷」は、それが常用平易であることの根拠を失います。
もし、「大阪高等裁判所の定立した枠組みを満たしているので、『玻』は常用平易である」というなら、私たちの市長が認められることになり、名古屋高等裁判所の判断は誤りであることになります。しかし、司法の世界において、3申請は、形式であり、1審2審に負けた裁判に勝つことは、99%ないといわれています。

とはいえ、私たちの主張には『常識的に考えて』筋が通っていますから、道理が通らない審判を出すならば、そんな裁判官は裁判官の資格はないですからね。。


主人が帰るまで、開けるのをまとうかと思いましたが、
「結果がどっちであれ、明日には玻南の出生届を出しにいくんだから。」
と思い、とっとと開けてしまいました。

分厚いです。軽く1.5センチはあろうかという厚み。
「どんだけかかれているんだ?」
と思い目を通すと、最初に目に入ってきたのは「棄却」の二文字。

「???一体、どんな理屈で????」

理由を見ると、まさに三行半。いいえ、正確にはたったの2行でした。
「「玻」は明らかに常用平易と認めることはできないという名古屋高等裁判所の判断は正当だから、あなたの理由は採用できない」

これだけ。

どんなにちゃらんぽらんで、捏造した理由をもって棄却した家庭裁判所の理由書も、

ドンだけやる気ナッシングで、「そんだけじゃ不十分」と返した高等裁判所の理由書も、

私たちの投げかけた言葉に一応返事をしていました。

が、最高裁判所は、名古屋高等裁判所の審判書以外目を通していないような返事。私たちが指摘した裁判所間の矛盾に対してのコメントはナシ。輪t氏たちのという賭けはまったく無視でたったひとこと「 名古屋高裁は正しかった」

すべての回答を放棄した潔さは、いっそ清清しいほどで、そのあまりの見事さに、言葉も出ません。

とにかく、
「ボーゼン」
この一言につきました。

近いうちに、最高裁判所からの書面を全部公開しますね。
多分、月曜日になるかも。

2010年1月11日月曜日

最高裁判所から届きました。

と書くと、紛らわしいですよね。
結果が出たわけではなく、最高裁判所で「許可抗告」と「特別抗告」を受付しましたって通知です。

こういったことに詳しい方のお話では、この通知の到着は通常よりも早い対応だそうで、私たちにとっては本当にありがたい限りです。このまま、審理も早く進んでくれるといいのですが・・・。


書類は以下の通り。

〒461-****            平成21年12月11日
名古屋市東区(以下略)
  矢藤 仁殿

平成21年(許)第42号               
平成21年(ク)第1105号
                     最高裁判所第二小法廷
                         裁判所書記官 古澤 秀行
        記録到着通知書

 原裁判所から下記事件記録の送付を受け付けました。今後は、当裁判所で審理することになりますのでお知らせします。
 なお、審理する上で書面を提出してもらう必要が生じたときには連絡します。その際には、提出する書面に当裁判所における事件番号(下記1)を必ず記載してください。

          記
 1 当裁判所における事件番号
      平成21年(許)第42号
      平成21年(ク)大1105号

 2 当事者
     抗告人  矢藤仁・矢藤清恵

 3 原裁判所および原審事件番号
     平成21年(ラ)第86号

 当裁判所所在地  〒102-8651 東京都千代田区隼町4番2号
 電話番号 03-3264-8111 (内線2281)

あけましておめでとうございます・・・大失敗(>0<)!

久しぶりにブログを開てみてびっくり。
「あれれ?前回投稿したはずの特別抗告の記事がない!!」

それもそのはず、ダッシュボードにはなぜか赤字で「下書き」の文字が・・・。

ということで、今日になってしまいましたが、ちゃんと公開しました。