2010年4月12日月曜日

判決直後のいろいろな思い

 今回は夫のほうです。結果は仕事中に妻からのメールで知りました。怒りや、悲しみ、色々な感情が浮かびました。
 なぜ「穹」がよくて「玻」が駄目なのか?と思うのが普通の感覚だと思うけど、裁判官にはそうした普通の感覚はないのかな?だから裁判員制度が必要なんだと、思考が暴走したり、
 ジュネーブの国際司法裁判所に直訴に行こうかなどと妄想したり、
 医療訴訟で、医師に対して「説明責任を果たしていない」と裁判官が述べることがあるけど、この判決のどこに、裁判官は説明責任を果たしているのかと怒りに震えたりしました。
 医師は、病気のプロなので、病気の素人である患者に対して説明責任があるのは当然です。同様に、法律のプロ、しかも司法の頂点にたつ最高裁判所の裁判官には、法律の素人である私たちに対する説明責任が、より強くあってしかるべきと考えるのは、おかしいんでしょうか?
 説明責任を果たさなかった医師は、場合によっては訴えられます。そのリスクを負うのがプロです。しかし裁判官はここまで説明責任を果たしていないにもかかわらず、責任を問われることはありません。相談した弁護士さんが言ってました。「裁判官も結局官僚だから、めんどくさいことはしたくないわけ、だから判決が覆るなんてことは99%おこらない」その道のプロのふりをしながら、説明責任を果たさなくても責任を問われることがない、官僚、という表現がよく理解できました。

 でもやっぱり、最愛の子供である「玻南」の存在自体を否定されたと感じたことが、一番悲しかったです。たかが9画の漢字一文字で、それも戸籍統一文字として戸籍に問題なく使えて、健康保険証、通帳などでも問題なく使えている漢字一文字で、毎日元気に生きている子供の存在を否定する、そう感じて、とても悲しかったです。


 僕のこうした思いを、妻はとってもクールに見ています。そのうち妻の考えものせますが、4月になって5人の子供の新学期が一斉に始まって、PTA行事などがなだれを打って押し寄せてくる時期なので、しばらく時間がかかると思います。妻は毎日真っ白な灰となっています。 

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